「真贋のはざま――カルコグラフィーの愉しみ」

MMF講座が開かれた会場には、ルーヴル美術館カルコグラフィー工房で丹念に刷られたカルコグラフィーが飾られ、講座が始まる前から熱心に鑑賞されている方が見受けられました。この日の講師はご自身の大学の授業でも、カルコグラフィーを含む「複製」の重要性を強調されている西野嘉章教授。楽しい“講義”が始まりました。

▲満席となったMMF講座会場

「金曜の夜にもかかわらず、大勢の方々にお集まりいただき、ありがとうございます。じつはわたしは、これまで講演などはお断りし続けてきたのですが、今回はわたしがとても興味を持っているテーマであったので、思い切ってお引き受けしたんです」

 講座の冒頭、親しみやすい口調で語り始めた西野教授。その言葉通り、版画、そして複製の価値について、“目からうろこ”のお話が次々と飛び出しました。参加された皆さんは、西野教授の熱弁にたちまち引き込まれていきます。

「マイクロスコープで版画の表面を500倍くらいに拡大していくと、さまざまな情報を得ることができます。たとえば、線に肥痩(ひそう)があればエッチングであるとか、鋭利な刃物で掘っているようであれば、エングレーヴィングであるなどです。美術品がもっている“モノ”としての存在感がそこにはあります」

 西野教授は東京大学総合研究博物館に赴任された当時、科学者たちが美術品を「標本」と呼ぶことに違和感を覚えたといいます。しかし、その経験によって、美術品が“物性のあるモノ”であることも教えられたのだそうです。美術史の観点からだけでなく、博物館という現場での体験に基づいた西野教授の視点はとてもユニークです。中でも版画の価値についてのお話しは、新しい気づきをもたらしてくれました。

▲講師の東京大学総合研究博物館館長・教授、西野嘉章先生

 「絵画は1点ものですが、版画はより多くの人たちの手に渡ることを目的にひとつの版から複数枚、刷ることが可能です」と複製芸術としての版画の意義を説明しながら、その価値について話題はふくらんでいきます。

 「レンブラントのように、実際に画家自身が刃物を持って彫った版画は非常に価値があります。版を彫り、インクをのせた後、それを拭き取る作業が生じますが、そこでの拭き残しによって濃淡が変わってくるのです。つまりは版画でも1点ものであるということ。それはカルコグラフィーでも同様です。刷る職人の解釈が介在するということですね」

 会場からは「確かに……」との声も漏れ、参加者の皆さんは、はっと目が開かれる思いを抱いたようです。

 カルコグラフィーは複製であると同時にオリジナルでもあるのです。真(オリジナル)と贋(コピー)とを区別することに、あまり意味はないのです。

 版画の線というものは、どんなに努力しても印刷物では決して出すことができないそうです。貴重な原版を収集するというたゆまぬ努力によって、ルーヴル美術館カルコグラフィー工房では、多くのカルコグラフィーが今も刷られ続けています。参加者の皆さんは、講座を聞く前とは明らかに違う、慈しむような眼差しをカルコグラフィーに投げかけながら、会場をあとにされました。

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