“暮らしとアート”を探る旅‐作家・宇田川悟のヨーロッパレポートA南仏のミュゼ

作家・宇田川悟氏がヨーロッパ各地のミュゼとその土地の暮らしや文化について紹介するシリーズ講座「“暮らしとアート”を探る旅」の第二弾が、6月16日に開催されました。今回は南仏のミュゼをテーマにたっぷりお話しいただきました。

 フランス・パリで20年以上も生活し、世界の文化にも造詣が深い宇田川氏のシリーズ講座2回目です。最初に皆さんのお手元にMMMセレクトのさっぱりとした味わいの南仏ワイン2種が配られ、宇田川氏が解説。冗談交じりの軽快なトークに会場からも笑い声が漏れ、あっという間に雰囲気が和んでいきました。そして南仏のミュゼのトリュフ博物館からお話を始められました。

 世界三大珍味のトリュフはキノコの一種で、フランスやイタリアなど10数か国で30種類くらい生産されています。中でも、フランス南西部、ペリゴール地方のトリュフは、“黒いダイヤモンド”の別名をもつほどの最高クラスとか。博物館ではこうしたトリュフに関するさまざまな写真や資料、実物などを展示しているのはもちろん、歴史についても紹介されているそうです。
 「古代ギリシア時代にはすでにトリュフの記述が多く出てきており、地面の下から忽然と現れる奇妙な食べ物として食されていました。圧倒的に記述が増えるのは、古代ローマ時代になってから。しかし、14世紀になると理由は不明ですが、歴史的文献から一切記述がなくなります。そして16世紀のルイ王朝時代に再び登場。王家の贅沢な暮らしで大量消費されたことにより、トリュフは世界的な地位を得ることになりました」
 お話しの中でとくに驚いたのは、いまだに生成過程が解明されていないという点です。
 「トリュフは親木と種がいい関係を持たないと育たないらしいのです。さらに、うまく結実したとしても8〜10年はかかるので、栽培農家が生業にできない。トリュフ博物館の館長さんはトリュフ栽培は子育てよりも難しいと話していましたが、何かの栽培の傍ら、育てる方が多いようですね。トリュフひとつとっても、フランス人の食文化に対するこだわりを実感することができます」

 古代の人々にも珍味として愛されてきた食べ物にもかかわらず、なんてミステリアス! すぐにでも誰かに伝えたくなるようなエピソードの数々が披露されていきます。
 続いてマルセイユの北西、サロン=ド=プロヴァンスにあり、全世界を震撼させたあの『ノストラダムスの大予言』で知られるノストラダムスの博物館を紹介してくださいました。1503年、サン=レミ=ド=プロヴァンスで誕生したノストラダムスは、幼少期、著名な学者だった祖父からヘブライ語、ギリシア語、古典文学、ユダヤ心理学を学びました。アヴィニョン大学を出た後、今度は医学の勉強をするためにヨーロッパ一のモンペリエ大学の医学部に入学します。当時の医学部は、錬金術や魔術を合わせた学問でした。優秀な成績を収めて卒業したノストラダムスは、当時、ヨーロッパで流行していたペストを撲滅しようと立ち上がります。そして自身が担当するエリアにだけ解毒剤と薬草を混ぜたものを散布したところ、ペストが減少したのです。
 「妻子もペストで亡くしたこともあり、伝染病をなくすには医学だけでは物足りないとノストラダムスは、神秘思想の追求へと向かっていきました。神秘思想は、ユダヤ教、ユダヤ教の神智学、心理学にひとつの原点があるらしいのですが、ノストラダムスはもともとユダヤ教の一家で育ってきたため、そういう思想の研究に傾倒していくのは自然のなりゆきだったのだと思います」
 そして、占星術師として預言集などを執筆したこともあり、フランスのアンリ2世の王妃、カトリーヌ・ド・メディシスから招聘。その名声はヨーロッパ中に広まっていきました。晩年はサロン=ド=プロヴァンスに移住し、終の棲家が博物館として公開されています。そのほか、昆虫記で知られるファーブルの博物館や、フランスの女性作家、ジョルジュ・サンドの館など、南仏の珍しいミュゼについてもユーモアを交えながら話してくださいました。南仏のミュゼだけでなく、偉人の生涯や食、ワインなど、フランス文化を垣間見ることができた一夜となりました。

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