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エスパス・ダリ Espace Daliマダムの連載の一部(10館)が本になりました。 バックナンバーを読む
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第二次世界大戦中、広島と長崎ヘの原爆投下に衝撃を受けたことから、ダリはいわゆる「核の時代」または「原子力の時代」に入り、科学の発展がもたらす精神的な問題に関心を持つようになります。精神性を追求することで、ダリは一連の宗教を描き始めたのです。戦後はヨーロッパに戻り、スペインのカダケスとパリを行き来する生活を送ります。その後の主な活動を挙げてみましょう。1955年、ソルボンヌで「偏執狂的‐批判的方法の現象学的局面」と題した講演をし、潜在意識にアクセスし、創造的エネルギーを解放することを可能にする方法について語りました。その翌年、スペインの独裁者フランコ将軍と面会したことから、数々の批判を受けたこともまた特筆すべきことといえましょう。1961年から1970年は、新たな表現の探求を続けた時代。執筆活動から本の挿絵、彫刻、デッサンなど多くの仕事をこなしました。1974年には、郷里フィゲーラスにダリ美術館が誕生しています。そして1979年、ポンピドー・センターで大規模な回顧展が開催され、記録的な入場者数がダリ人気を裏付けることになりました。当時76歳のダリは、毛皮のケープにカタルーニャのサンダルという出で立ちで、芝居さながらの登場を果たしたといいます。しかし、1982年にガラが亡くなると、ダリの健康状態は悪化し、1984年には自宅の火災でやけどを負う事故にも見舞われてしまいます。そして1989年、85歳で永眠。その亡骸は、フィゲーラスのダリ劇場美術館に埋葬されています。

今回ご紹介するエスパス・ダリは、ダリのあまり知られていない作品を集めているという点でとてもユニークなミュゼ。素晴らしい彫刻約15点に加えて、文学や神話、歴史、宗教といったダリの主要なテーマを題材にした版画やリトグラフなどがあります。モンマルトルの丘の中腹を掘って造られた地下階には、黒壁の広いスペースが広がっています。階段の下では、月桂冠をかぶり、笏を持ち、有名な口髭を生やしたダリの素晴らしい写真が来館者を出迎えます。この写真の中でダリは、敬愛していたスペインの画家ベラスケス(1599-1660)の真似をしているのですよ。

ミュゼに入って右手の壁に飾られた12点のエッチングは、それぞれダリの絵画制作における重要な時期を表しています。《幸福の栄光》に描かれているのは、松葉杖、インゲン豆、溶けた時計といった彼の作品によく登場するシンボル。《ガラの崇高な背中》は、彼のミューズとの出会いが表されています。

ダリの作品の中でも、彫刻作品は、彼の卓越した技術と力強い想像力を物語るものとして、重要な位置を占めています。ブロンズ彫刻をご覧いただければ、それらが、彼の強迫観念と夢の反映であるシュルレアリスム的イメージを形にしたものであることがお分かりいただけると思います。シュルレアリスムの代表的作品《記憶の固執》では、枯れ木の枝にかかった柔らかい時計という造形によって、時間は堅固なものではないことを表しています。つまり、時計はもはや時を計るという役割を果たしていないのです。実際、ダリは過ぎ行く時間の知覚というテーマにとりつかれていました。《時間の気高さ》(1977-1984年)もまた、時間の流動性を主題としています。神との関係を象徴する瞑想する天使とショールをまとった裸婦に囲まれてたなびく時計の針──。つまり、時計自体が動かずとも時は変化してゆくということが表されているのです。ここには、膝蓋骨が複数ある細くてひょろ長い脚が印象的な《宇宙象》(1980年)も飾られています。無重力空間にいるかのような象は、背中にファラオの権力の象徴である黄金のオベリスクを乗せています。

館内の壁で上映されているショート・フィルムをご覧になれば、《ドン・キホーテ》シリーズの最初の版画を制作する際に、ダリがモンマルトルで報道陣を前にどんな演出をしたかがお分かりいただけます。サイの二本の角をつけて、インクに浸したパンを使ったのですよ。


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