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ロダン美術館:ムードン、ヴィラ・デ・ブリヤン Musée Rodin : Villa des Brillants à Meudonマダムの連載の一部(10館)が本になりました。 バックナンバーを読む
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美術館の展示室で前景の壇に置かれているのは、十字架を持たない《洗礼者ヨハネ》(1880年)や、頭も腕もないながら、完璧なバランスで力強さと動感あふれる印象を与える《歩く男》の石膏像。皆さまご存知の《接吻》(1888-1889年)は、官能から生まれる愛を表現しており、当時の人々に衝撃を与えた作品です。石膏像に鉛筆で付けられたたくさんの小さな点は、大理石で制作するための目印です。そのすぐ後ろには《青銅時代》の石膏像(1877年)がありますが、これは、顔を負傷した等身大の若い男性の姿で戦争を寓意的に表現した重要な作品です。生気に溢れたこの作品を発表すると、ロダンは、実際の人間から型を取ったものではないかという批判を受けました。深く傷ついたロダンは、身の潔白を証明しようと、さまざまなサイズで同じ作品を制作しました。最終的には、国が《青銅時代》の鋳造を依頼することになり、現在ではパリのリュクサンブール公園で見ることができます。

《青銅時代》の後ろには、《オノレ・ド・バルザック》像のいくつもの習作が続きます。大きなお腹をした裸体習作(1894年頃)や、威厳に満ちたもじゃもじゃ頭のバルザックの大きな石膏像(1898年)。身体を包む大きな布は、バルザックが仕事をする際に着ていたガウンを思わせます。
創作の力強さそのものを具現化したようなこの像は、作品を注文した文学協会が受け取りを拒否するほどのスキャンダルを巻き起こしましたが、1939年、ブロンズに鋳造され、パリのラスパイユ大通りに設置されました。
《ヴィクトル・ユゴー記念碑》の数多くの習作も展示されています。最初の習作は1887年から1888年に制作されたもので、最後の習作は、岩の上に身を横たえた詩人の裸体像で、ユゴーの亡命を想起させるものです。

ギャラリーの奥にある《カレーの市民の記念碑》(1889年)は、百年戦争時の1347年、イギリス軍に包囲された港町カレーの名士たちが取った英雄的な行為を記念して注文されました。ブロンズに鋳造され、1895年にカレーで公開されました。それぞれの人物の態度が手の動きまで対照的に表現されており、名士たちがどのようにこの悲劇的事件に立ち向かったのかを感じさせる作品です。 展示室の両側のケースには、さまざまなサイズの足、脚、腕、手などが展示されています。ロダンは必要に応じてこれらの断片を組み合わせ、アッサンブラージュ(訳注:「組み合わせること」の意)を構成していました。ロダンの伴侶ローズの肖像や、日本の女優、花子のドラマティックな表情をたたえた頭部も見ることができます。

ロダンは、その大胆で力強い表現とそれまで知られていなかった技法、つまり石膏の断片を再利用するアッサンブラージュによって、彫刻を革新した芸術家でした。思いもかけないアッサンブラージュによって新しい石膏像が出現するのです。全体のバランスを重視しつつ、作品を自由に構成し、人体の動きを研究する──。こうして、ロダンは彫刻の世界に革命を起こしたのです。

友情を込めて。

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