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エルヴェ・オグエ扇子美術館マダムの連載の一部(10館)が本になりました。 バックナンバーを読む
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左手の小さな部屋は、扇面を準備し、骨に貼る作業に使われています。扇面は1〜2枚の紙や布(シルク、タフタ、サテン、オーガンジー)やとても薄い革(白鳥や鶏の皮)、レースなどに折り目をつけて骨に貼って制作します。扇子といえば、折り畳めるものが最も一般的ですが、扇面の紙や布はまず平らな状態で加工され、最後の装飾のみ、特殊な型を使って折り目をつけてから施されます。

右手には、素晴らしいサロンがあります。アンリ2世スタイルの見事な装飾が施されたこの部屋は、歴史的建造物に指定された空間。1893年に造られた当時のままの装飾が残されています。堂々とした暖炉の上には、《狂気》と題された女性の胸像があり、格天井と冠のついた三つのシャンデリアが印象的です。壁に貼られた金色のモチーフを刺繍した青い布も、当時のもの。部屋の周囲には、扇子コレクションの一部を収納した、抽き出しのある大きなクルミ材の家具が、中央には展示台として用いられている大きなテーブルが置かれています。それでは、この部屋の展示を見ながら、扇子の歴史をたどってみることにいたしましょう。

扇子の起源は、人類が火を利用し始めた時代、最初は大きな葉を、次に編んだヤシの葉を使って扇いだことにまで遡ります。古代エジプトでは、ファラオをハエから守るための扇が登場。紀元前5世紀のギリシャでは、扇は装飾品になりました。扇はやがてアジアに広まり、日本でも使われるようになりました。扇子(SENSU)が誕生したのは、7世紀の日本のことで、コウモリの羽が折りたたまれる様に着想を得たのではないかといわれています。ヨーロッパへは、アジアへの最初の大航海後の16世紀に、ポルトガル船によってもたらされました。フランスでは、カトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589)が宮廷に導入し、マリー・ド・メディシス(1573-1642)とアンリ4世(1553-1610)の結婚を機に流行。ルイ14世(1638-1715)の治世下、1678年にパリで扇子職人の同業者組合がつくられると、フランスの職人がヨーロッパを席巻するようになります。そして18世紀には、パリは扇子の都となりました。1760年頃には、扇子に折り目をつけるための型が発明され、印刷した紙や型紙を用いた装飾で大量生産された扇子は庶民にも手の届く品となりました。

展示室に入って最初の展示ケースには、17世紀の扇子が展示されています。ファッション小物とはいえ、扇子は優れた時代の証人だということも忘れてはなりません。扇子の装飾は、その時代の芸術的嗜好を見事に表しているのです。

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