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1849年以来、その名前の由来ともなっている美術館の恩人、フランソワ=マリウス・グラネは、エクス=アン=プロヴァンス出身の画家です。およそ300点の絵画、古代美術、彫刻、そして彼自身のアトリエの資料のすべてを美術館に寄贈しました。2階の一室がグラネ自身の絵画、とりわけローマ留学時代の作品にあてられています。展示室に入るとすぐ目に入るのが、左手パネルの中央に飾られた、アングル(1780-1867)によるグラネの肖像画(1807-1809年頃)。優しい大きな目が印象的な詩情溢れる肖像画です。当時ローマ法王の居城であったキリナル宮を背景に、シャツの襟の白さによって引き立てられた顔が、くっきりと浮かび上がっています。肖像画の周りには、グラネがローマ滞在中に描いた風景画(コロセウム、ティヴォリなど)の小品が数多く展示されています。その向かい側には、やはりローマで描いた《サンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂の回廊》があります。ほかのすべての色を圧倒するような赤を身にまとった枢機卿が教会に迎え入れられる場面が光に満ち溢れた描写で描かれ、この教会の繁栄を表しています。

お隣の部屋は19世紀フランス絵画にあてられています。とりわけ、美術館を代表する名画、アングルの《ユピテルとテティス》(1811年)が目をひきます。作品には、全能の神としてのユピテルが、儀式ばった姿勢で描かれており、垂直に持った槍が堅牢さを強調しています。ユピテルは、哀願するテティスの魅力には無関心なようです。テティスは曲線で描かれており、明るい色の肉体がユピテルの顔の沈んだ色とコントラストを成しています。プロヴァンス派の作品を代表するものとしては、例えば、エミール・ルーボン(1809-1863)の《家畜の群れの先導、カマルグ》(1853年)があります。家畜の群れが太陽に焼かれた大地をほこりを巻き上げながら進んでくる様が描かれていますが、一頭一頭が異なる姿勢で捉えられ、ほんとうに動いているかのような印象です。

続いて2階へと参りましょう。ここにはエクス=アン=プロヴァンスの巨匠、ポール・セザンヌにあてられた展示室があります。セザンヌは近代絵画の先駆者のひとりですが、彼の画歴を完璧にまでに概観できる10点が展示されています。セザンヌは長らくその価値が認められなかった時代があり、作品が美術館に入ったのはようやく1984年になってからのことでした。幸いにも、以来、美術館のセザンヌ・コレクションは大幅に充実していきました。セザンヌは若かりし頃、この美術館に足しげく通い、アングルの作品やグラネのコレクションに大きな影響を受けました。

美術館が所蔵する最も初期の作品は、《エミール・ゾラの肖像》(1862-1864年頃)です。著名な作家ゾラ(1840-1902)とセザンヌは、中学時代から固い友情で結ばれていたのをご存知でしょうか。ゾラはセザンヌが芸術の道に進むことを励まし、ふたりはともに、《ジャ・ド・ブッファンの眺め》(1875-1876年)に見られるような光に満ちたプロヴァンスの心地よい田舎道を歩き回りました。ジャ・ド・ブッファンは、もともとは18世紀に建てられた要塞で、セザンヌの父が1859年に買い取り、セザンヌは初期の作品を制作しました。パリに滞在し、モネやピサロといった印象派の画家たちに出会った後、セザンヌはエクス=アン=プロヴァンスに戻ることにしました。期待していたような成功を収めることができなかったからです。そして、少しずつ印象派のテクニックを乗り越え、《砂糖壷、梨、青いティーカップのある静物画》(1865-1870年)のように色彩の研究をするようになります。《セザンヌ夫人の肖像》では、単純化された線に色彩の繊細なニュアンスが加わり、妻の顔の穏やかさが見事に描き出されています。小さなサイズの《浴女たち》(1890年)は、世界的に知られる大型バージョン《大水浴図》(1895-1905年)を予告する一枚。《大水浴図》は、背景と人物を同等に扱っており、印象派との決別を示しています。

Update : 2017.2.1

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