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ジャン=ジャック・エンネル美術館マダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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かつてはギヨーム・デュビュッフェの住居兼アトリエであり、客間でもあった美術館の1階に入ると、室内装飾家でもあったデュビュッフェの多様な趣味がうかがえます。まず、食堂では、デルフト焼きのファイアンス陶器の青と白のタイルが貼られた「中国スタイル」の暖炉が目を引きます。暖炉の上にはカロリュス=デュランが描いたエンネルの肖像画が掛けられています。またここにはプレーン・モンソー地区の地図が展示されており、この地区に住んでいた芸術家たち(画家、彫刻家、作家など)の邸宅やアトリエの場所が分かるようになっているのがとても興味深いです。彼らは、これら邸宅のサロンで催されたパーティーで顔を合わせていました。

入口を入って少し階段を上がると「円柱の間」(ここが2階)、そして隣接するサンルームへと出ます。「円柱の間」とサンルームは修復され、演劇やコンサート、展覧会などが行われた在りし日の雰囲気を取り戻しています。「円柱の間」では、ネオ・ルネサンス様式の天井をご覧ください。これはブロワ城の女王の小部屋から着想を得たもので、デュビュッフェのDとセシールのCが絡まり合っています。ここには、エンネルの絵画の特徴が良く表れたアルザスの風景画や、赤毛の女性の作品が何点か展示されています。《ビュブリス》(1867年以降)と《ニンフ》(1875年)が、ポール・デュボワによるエンネルの胸像を取り囲んでいます。小さな家具のうちいくつか、螺鈿で細工が施されたものは、「ナポレオン3世様式」の典型です。化粧漆喰の4つの円柱が、サロンと素晴らしいサンルームを仕切っています。サンルームには今回の改装の際に大きなガラス屋根が設けられています。デュビュッフェの時代、このサンルームには芸術作品や豊かに茂った異国の植物などたくさんの品々が置かれていたそうですが、現在では、壁には花柄の壁紙が貼られ、床は花をモチーフにしたギリシャ風のモザイク(1878年)が復元されています。ピアノが置かれたこのサロンは、演劇やコンサートが開かれた空間。暖炉の上には、鮮やかな赤毛を持つ《ケスレ伯爵夫人》(1886年頃)の肖像画が飾られています。演壇の右手には、小さな階段がアトリエへと続いていますが、ここは現在、美術学校と提携して若いアーティストに提供されているそうです。

それから木の階段を上って3階のパティオへと参りましょう。パティオは複数の展示室をつなぐ空間。そこに飾られたエンネルの《自画像》(1877年)には、ボタンホールにレジオン・ドヌール勲章を誇らしげに身につけた芸術家の姿が描かれています。左手奥、「アルザスの間」には、日常生活の中で描かれた家族の魅力的な肖像画など、エンネルの初期作品が展示されています。彼の勤勉な生徒だった甥を描いた《ポール・エンネル》(1866年頃)、アルザスの紺色のリボンを髪につけた姪を描いた《りんごの籠を持ち、アルザス女性の格好をしたユジェニー・エンネル》(1869年)があります。

「イタリアの間」に入って驚かされるのは、明るい色彩で描かれた小型の光に満ちた絵画の数々です。エンネルは後年はこうした絵を描かなくなりました。暖炉の上には、ローマ賞受賞作《アベルの身体を見つけるアダムとエヴァ》(1858年)の大きな下絵が飾られています。暖炉の左手には、ジョット(1266/67-1337)に基づく《ラザロの復活》(1860年)など、イタリアの巨匠の模写もあります。もうひとつの大型作品《ローマ、メディチ荘のテラス》(1860年)には、遠くにサンピエトロ寺院を望む永遠の都の眺め、前景にはさまざまな身なりの人々(聖職者、エレガントな女性、農民など)が描かれています。 ライティングデスクの上には、伝統的な衣裳を身に着けたとても優雅な《若いイタリア女性の肖像》(1859-1860年)があります。《イタリアの風景、日没》(1859-1860年)など、彼がモチーフを前にして描いたであろうこれらの小さな絵画は、イタリアの風景の美しさや明るさが見事に表現されています。

Update : 2017.4.1

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