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ヴィラ・カヴロワマダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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1929年から1932年にかけて建築されたカヴロワ邸には、建築、装飾、家具は同質であるというマレ=ステヴァンスのコンセプトが反映されています。彼は、居住者たちの新しいライフスタイルを考慮して細部に至るまでを考え、洗練されたラインの装飾や家具をデザインしました。そして恐慌の只中の1932年、娘の結婚を機にカヴロワ邸は落成しますが、第二次大戦中にはドイツ軍に占拠されることになります。戦後の1947年、邸宅はカヴロワ家に返還されましたが、荒れ果てた状態になっていました。そして1985年にルシー夫人が亡くなると、子どもたちは邸宅を不動産業者に売却。業者は当初、分譲する予定でしたが、建築許可が下りず、そのまま放置、略奪されるがままの状態にありました。その後、安藤忠雄ら多数の有名建築家が結集して働きかけたおかげで、カヴロワ邸は取り壊されることなく、奇跡的に保存されていた写真をもとにして1932年の状態に修復されることとなりました。さらに、いくつかの家具は、オークションでオリジナルを買い戻すこともできました。

邸宅の見学には、まず管理人棟へと参りましょう。なんと堂々たる佇まい、なんと圧倒的な大きさでしょうか──立方体の量感、でこぼこのテラス、そして白い欄干──その佇まいはまるで大型客船のよう。白い欄干は、その水平ラインを強調することでファサードにリズム感を与えています。「近代的な城」と呼べるほどの大きさですが、実際、カヴロワ邸は高さ21m、幅56m、居住面積は1,800uもあり、加えてテラス、そして眺望を楽しむための展望台が830uもあるのです。

建築家マレ=ステヴァンスの構想に基づき、邸宅と庭園の空間は、非常に明確な秩序に従った幾何学的な形態で構成されています。玄関前のアプローチは車が通りやすいように円形、邸宅は長方形、三角形の庭園には泉水が直線に走っているのです。ファサードの壁にはサフラン色のレンガが用いられていますが、ポイントは目地の色。水平は黒、垂直はレンガと同じテラコッタ色と厳密に決められた目地の線が全体的な統一感を生んでいるのです。北側のファサードでは大きな天窓のある巨大な庇がエントランスを際立たせており、金属の枠にはめられた透明なガラス戸から光が射しています。邸宅に入ってみると、その明るさとミニマルな内装に驚かされます。大理石や木材などの天然素材が、ガラスや鉄といった工業素材と見事に調和しています。そして、暖房、無線電信、照明、換気、エレベーター──この邸宅には、当時の最新テクノロジーのすべてが凝縮されているのです。ほとんどすべての部屋に電気時計が導入されていて、その数30点にものぼるほどです!

一方で、内部は17世紀以来の古典的な構造をとっています。ホール=サロンなどのある中央部は社交生活のための空間。東の翼には夫妻の、西の翼には子どもと使用人の部屋があります。そして地下には機械室、洗濯室、ワインカーヴなど。ガラスの扉を通り、白と黒の大理石でできた階段を数段上るとエントランスホールです。ここから1階の各部屋へ繋がっています。ホール=サロンに向かって開く黒い扉の両側の向かいには、鋼と乳白ガラスでできた、壁と一体になった大きな箱型の間接照明が、柔らかい光を放っています。そして鏡と半円形を重ねた独創的なデザインのウォールランプからも、独特な光が広がっています。

邸宅の中央は巨大なホール=サロンで、大窓からは庭園と、邸宅に対して垂直に設けられた72mの泉水が見えます。中2階がある2階建てで、淡い緑色の壁が庭の緑と共鳴しています。右手には、濃い緑色の布張りのクルミ材の家具を置いた心地よい休憩コーナーがあります。左手の一段低くなったところには、もう少し親密で温かみのある空間、暖炉のコーナーがあります。全体がシエナの黄大理石でできていて、両側に壁に組み込まれたベンチがあります。

Update : 2017.6.1

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