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シャナ・オルロフのアトリエマダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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シャナ・オルロフは、美術史において特異な位置を占めるアーティストです。師を持たず、弟子も取りませんでした。ウクライナのユダヤ人家庭に、9人兄弟の8人目として生を受け、若くしてお針子見習いとなります。1905年、ユダヤ人大虐殺を逃れるため、家族とともにパレスチナに亡命し、裁縫の仕事で生計を立てたといいます。1910年、22歳でパリにやってきたシャナは、デッサンの授業を受けます。そして裁縫の資格を取るため、オートクチュールのメゾン、イシドール・パカンのアトリエで見習いとして働き、デザイン画で真の芸術的才能を発揮するのです。1911年には、当時、学費が無料で女性にも門戸を開いていた装飾美術学校の入学試験に合格。ここで彫刻の才能を発揮し、最初の作品《祖母の肖像》を制作します。同時に、マリー・ヴァシリエフ(1884-1957)が創立し、無料で多くの芸術家を迎えていたアトリエで創作に励みます。

ヴァシリエフのアトリエには、とりわけモンパルナスのアーティストたち(藤田嗣治、ピカソ、ザッキン、ブランクーシなど)が多く通い、20世紀初頭における、芸術家や文学者の重要な出会いの場のひとつとなっていたのです。シャナはここで、ジャンヌ・エビュテルヌ(1898-1920)と出会い友人となります。ジャンヌはシャナを通じてモディリアーニと出会い、その恋人となったのです。1913年から1916年、シャナはサロン・ドートンヌに出展します。1916年には、アポリネールの友人で、作家・詩人のアリー・ジュスマン(1888-1919)と結婚。1918年には、ディディと呼ばれる息子が誕生しますが、翌年には夫がスペイン風邪で亡くなるという悲劇に見舞われます。

その後1920年以降、彼女はパリの社交界において肖像作家として名をなし、大きな成功を手にします。1925年にはフランスに帰化し、レジオン・ドヌール勲章を受章。1928年には初めてアメリカ合衆国(ニューヨークほか)で作品を展示し、ここでも大変な成功を収め、1937年にはプティ・パレ美術館の一室が彼女の作品にあてられました。

第二次世界大戦中は、作品を発表することもできず、身の危険を感じたシャナは息子とともにスイスへ逃げます。1945年にパリに戻ってくると、作品が有刺鉄線で天井にぶら下げられるなど、アトリエは荒れ果てていました。それでも彼女は仕事を再開し、これまでとは違った、粘土に指の跡が残る、より荒々しいスタイルで制作をするようになります。1946年から1949年にかけて、パリ、オスロ、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルスで大規模な回顧展が行われ、ロサンゼルスには一年近く滞在しました。芸術家としての地位を確立したのです。
その後、抽象芸術の時代を迎えると、シャナの彫刻はとりわけフランスでは以前ほどの人気はなくなったものの、1949年以降は、イスラエルで制作を続けて人気を博しました。数々の注文を受けましたが、そのひとつに《母性》(1924年)があります。これは、イスラエルのキブツ(集団農業共同体)のひとつ「エイン・ゲブ」のためにつくられたモニュメントで、若いユダヤ人の女性が海に向かって立ち、子を空に向けて持ち上げています。1961年、テルアビブの美術館がシャナ・オルロフの個展を開催しました。その後、シャナは1968年にもこの美術館のために大規模な個展を準備しますが、その途中、脳溢血に見舞われて亡くなってしまいます。テルアビブの地で埋葬されたシャナの墓所には、息子の手によって制作途中のモニュメントが設置されることとなりました。

シャナ・オルロフのアトリエに足を踏み入れたわたくしを驚かせたのは、彫刻の数もさることながら、その展示のされ方です。つまり、わたくしは美術館にいるのではない、ということです。アトリエはとても明るく、彫刻は在りし日のように、食器棚やテーブル、棚などの家具の上に置かれています。シャナは彫刻の主題としては、女性や母性、子ども、肖像、動物といったテーマを好み、木や土、石膏、セメント、ブロンズなど多彩な素材を用いました。第二次世界大戦末まで、シャナは力強さが印象的なブロンズ《屈む大浴女》(1925年)に見られるような、フォルムを損なうことなく単純化し、滑らかに仕上げるスタイルで制作していました。

一方、それとはだいぶ異なる、ゴツゴツしたスタイルが見られるのが、堂々とした威厳に満ちた態度で頭を上げた巨大な石膏像《カゴを持つ女性》(1950年)。こちらは、とあるキブツのために制作されたモニュメントの習作です。その後ろに立つすらりとしたカップルのブロンズ像《ダンサー》(1923年)は、キュビスムに近いスタイルで、ボリュームのバランスを取ることで動きが表現されています。テーブルの上には、ユーモラスな表現の動物像が置かれています。弧を描いたしっぽと尖った鼻先のバセット犬(1917年、ブロンズ製)や、戦車を思わせるバッタの像(1939年、ブロンズに緑の古色)などです。

棚にはモディリアーニ作のデッサン《シャナ・オルロフ》(1915年、鉛筆)も飾られているので、忘れずにご覧になって。この棚に置かれた《母性》は、腕の中で丸くなる子に向けられた母親の優しさが表現されています。アトリエの奥には、縮小された顔と頭の後ろで交差した手が印象的な、素晴らしい《トルソ》(1912年、木製)があります。直彫りされた最初期の作品のひとつで、引き伸ばされた美しいラインによって滑らかなフォルムが表現されています。

Update : 2019.6.3

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