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パンテオンマダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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建物の内部からまず見えるのは、第一の丸天井(格天井)。そして、その中心の開口部からは第二の丸天井に描かれたアントワーヌ・グロ(1771-1835)による《聖ジュヌヴィエーヴ礼賛》(1824年)を見ることができます。フランス史を飾る著名人に取り囲まれた聖ジュヌヴィエーヴを主題とした作品です。列柱と42の窓が与える垂直性には、ゴシックの影響がうかがえます。窓はもともと建物を光で満たすために作られましたが、無宗教の霊廟としての役割を与えられたため、1791年から1794年にかけて、葬儀にふさわしく塞がれたという経緯があります。内部の装飾は、1874年から1889年、著名な芸術家たちに依頼され、フランス史とカトリック信仰の双方を讃えるテーマが描かれていますが、宗教と共和政の混合は、今日のわたくしたちの目には戸惑うような取り合わせに思えます。

パンテオンの中に一歩足を踏み入れると、その大きさと暗さに驚かされます。がらんとした印象すら受け、それゆえに峻厳で荘厳な雰囲気に満ちた大建造物なのです。身廊の中央には、重たい丸屋根を支える4つの巨大な柱が聳えています。丸天井の下には、1851年に設置された、かの有名な「フーコーの振り子」があります。フーコーは振り子によって地球の自転を証明しました。金箔を施した47kgの球体は、67mの丈夫なコードでテーブルの上に吊るされています。テーブルの文字盤は時刻を示し、振り子は常に同じ方向に揺れています。見学を終えられた後にもう一度、振り子をご覧になってみてくださいね。最初とは異なる時刻を示していますから。このことが文字盤、つまりその下にある地球が自転していることの証なのです。

内陣には、1792年に設置された議会に敬意を表して制作された、フランソワ=レオン・シカールの巨大な彫刻《国民公会》(1924年頃)が置かれています。共和制国家たるフランスのシンボルであるフリジア帽をかぶったマリアンヌの右側には宣誓する議員たち、左側には共和国軍がいます。この彫刻の後ろには、戦闘画を得意としたエドゥアール・デタイユ(1848-1912)による《共和国軍を導く勝利》(1905年)が置かれています。その上には、アントワーヌ=オーギュスト=エルネスト=エベール(1817-1908)に基づくビザンチン様式の素晴らしいモザイク《フランスの守護天使に国民の運命を示すキリスト》(1874-1884)があります。キリストの右には聖ジュヌヴィエーヴ、左にはフランスをイギリスによる支配から救ったフランス史のもうひとりの英雄ジャンヌ・ダルクが描かれています。
後陣の左には、スーフローとロンドレが制作したパンテオンの石の模型(1770-1790年頃)が置かれた小さな部屋があり、建物の構造をより良く理解できるようになっています。

19世紀後半に作られた壁の装飾は、当時の思想を反映して、国家の建設に大きな影響を与えた出来事が描かれています。まず、壁に貼り付けた大きなキャンバスにキリスト教の重要人物と君主政の重要人物が描かれています。後陣の両側には、ふたりの著名な芸術家が聖ジュヌヴィエーヴの生涯を描き出しています。左側は、ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ(1824-1898)による聖ジュヌヴィエーヴ物語で、《パリに食糧を供給する聖ジュヌヴィエーヴ》と《パリを警護する聖ジュヌヴィエーヴ》(1889-1898年)などがあります。右側は、キアロスクーロの効果と暖かい色彩を用いて描かれたJ.P.ローランス(1824-1921)の《聖ジュヌヴィエーヴの死》(1885年)で、人々の崇敬を集めています。

外陣の入り口には、聖ドニの生涯が描かれています。聖ドニはガリア人の福音伝道者です。それから交差廊に描かれた絵画には、クロヴィス、シャルルマーニュ、聖ルイなど、歴代のキリスト教徒のフランス国王の物語が描かれています。ジャンヌ・ダルクの生涯のさまざまなエピソードを描いたものもあります。内陣と南の交差廊の壁には、アントワーヌ・ド・サンテグジュペリをはじめとする著名人に敬意を表したたくさんの碑文があります。皆さまもよくご存知のサンテグジュペリは、詩人・小説家であるとともに、パイロットでもあり、1944年7月、任務中に行方不明になりました。
碑文はまた、ふたつの世界大戦中にフランスのために亡くなった作家たちにも捧げられています。その中にはギヨーム・アポリネールとシャルル・ペギーの名前がありました。

国家が栄誉を称える78人の人々が眠る地下納骨堂へは、後陣左側の小さな階段から向かいます。地下納骨堂は、階上とは対照的に薄暗く、親密な雰囲気で、訪れるものの心に感動を呼び起こす特別な場所です。市民として社会政治問題にコミットしたことで、または共和国の価値を擁護したことでフランス史に足跡を残した人々に敬意を込めて、静かに見学します。地下に下りてすぐ、白い壁の前におかれた朱赤の大きな骨壺が目に留まるかと思いますが、そこには、第三共和政の創始者レオン・ガンベッタ(1838-1882)の心臓が納められています。地下納骨堂は階上の形と対応して十字の形をしています。拝廊に入ると、ドーリア式のどっしりとした円柱に圧倒されます。ここには、啓蒙の世紀を代表する思想家ヴォルテールとルソー(1712-1778)が眠っています。生前は敵対していたふたりですが、彼らの思想は革命の理想に大きな影響を与えました。その左手にはヴォルテールの墓があり、その手前にはウードン(1741-1778)作の、本を手にした大きなヴォルテール像があります。向かいにあるルソーの墓は、彼の理想にふさわしく、田舎風の寺院の形をしています。

Update : 2020.2.3

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