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レジオン・ドヌール勲章博物館マダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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博物館へ足を踏み入れると、左手に先ほどの彫像のテラコッタ製のエスキース(小型の習作)があります。洗練されていて繊細です。その向かいの展示ケースには、博物館の創立者であるデュバイユ将軍の肖像と剣があります。小さな展示室には、中世の十字軍の際に巡礼者の救護、保護に貢献した宗教的、軍事的騎士団に関する展示があります。中でもマルタ騎士団と聖墓騎士団は現在でも活動する騎士団として知られていますが、医療、軍事、宗教の3つの使命を持っていました。現在も着用されているマルタ騎士団のものを含む、ふたつの立派な制服は、彼らの騎士道精神の証です。マルタ騎士団の紋章は8つの突端を持つ白十字で、本物の宝石をあしらったものがたくさん展示されています。この白十字が、ヨーロッパの多くの勲章のモデルとなったのです。

続くふたつの部屋は、贅を尽くしたかつてのサロンです。初めの青い壁の展示室では、騎士道の理想から着想を得た国王の騎士団や、宗教的、軍事的騎士団が紹介されています。サン=ミシェル騎士団は1469年に国王ルイ11世によって、聖霊騎士団は1578年にアンリ3世によって、創設されました。聖霊騎士団創設の様子はルイ15世の注文によるヴァン・ロー(1684-1745)の壮大な作品《アンリ3世による聖霊騎士団の創設、1578年12月31日》に描かれています。登場人物たちは、騎士団の正装である、金糸銀糸で刺繍された、ビロード、絹、サテン製の王政復古期の豪華なマントを身につけています。

ルイ14世(1638-1715)は、家柄ではなく功績によってカトリックの士官に報いるため、1693年に王室の軍事騎士団サン=ルイ騎士団を創設しました。イアサント・リゴーの工房で制作された肖像画《フランスおよびナヴァール王ルイ14世》では、国王はサン=ルイ十字のついた勲章の青い紐を手にしています。また、モーリス・カンタン・ラトゥールの工房による魅力的なパステルの小品《プロヴァンス伯》があります。プロヴァンス伯(1755-1824)は、ルイ16世の弟で未来のルイ18世ですが、12歳で騎士章を受勲しています。また、受勲者たちが正装で一堂に会したフランソワ・ユベール・ドルエ(1727-1775)の作品にもプロヴァンス伯の姿がみられます。そしてルイ15世は、1759年にプロテスタントの将校たちのために軍事功労章を創設しています。

次の赤い壁の展示室は、レジオン・ドヌールのための部屋。1789年の革命期に、全ての褒章は廃止されてしまいますが、1799年、第一執政官ナポレオン・ボナパルトは、新しい褒章システムとして「栄誉軍職」を創設します。兵士たちのための「栄誉の銃」、鼓手隊のための「栄誉のバチ」などです。1802年、レジオン・ドヌール勲章を創設する法律が制定されました。その法文がここに展示されています。この新しい褒章制度は、軍人および民間人の栄誉を称えることで、国に奉仕するフランスのエリート集団を形成することを目的としていました。アントワーヌ=ジャン・グロ(1771-1835)による非常に有名な作品《第一執政官ナポレオン・ボナパルト、1802年》は、赤い衣装を身にまとい、栄光に包まれたナポレオンの姿を描いています。

第一執政官は、当然「レジオン・ドヌール受勲者の長」であり、受勲者を指名する理事会の長でもあります。皇帝になったナポレオンは、1804年、記章を設定します。星型で彼の肖像画が描かれており、裏面には皇帝のシンボルである鷲と「栄誉と祖国」という標語が書かれています。この勲章は、帝政、王政、共和政とフランスの政治体制が替わっても続き、中央の肖像画がその時々に合わせて変わっていきました。1805年、政令により最も栄誉ある大勲章が追加され、受勲者は「グラン・テーグル(大鷲)」「グラン・コルドン(大綬)」、そして最高位の「グラン・クロワ(大十字)」と呼ばれるようになります。じつは、私の父ポール・ドゥルヴリエ(1914-1995)も、国家に貢献したことへの褒章として、当時のフランソワ・ミッテラン大統領から「グラン・クロワ」を与えられました。

Update : 2020.6.1

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