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ビアリッツ歴史博物館マダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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次いで、帝政期のビアリッツについてのセクションがあります。1854年から1868年まで、ナポレオン3世と皇后ウジェニーは、ビアリッツに13回も滞在しました。ウジェニーが若かりし頃にバスク地方とビアリッツに憧れを抱いていたことから、皇帝夫妻はビアリッツの海沿いに夏の別荘「ヴィラ・ウジェニー」を建てたのです。何度かの拡張工事を経て、正真正銘の宮殿となった「ヴィラ・ウジェニー」は、今ではホテル「オテル・デュ・パレ」として使われており、宮殿をモティーフにした水彩画と写真も展示されています。ナポレオン3世とウジェニーは、ここにヨーロッパ中の王侯貴族や政治家を客人として迎えました。展示室には、絹の刺繍や版画、そしてウジェニーの胸像の石膏複製や皇帝一家の版画などが飾られています。冠とウジェニーのイニシャルEの文字が型押しされた黒革の名刺入れ、皇太子の手袋、皇太子みずから描いたデッサンが2点など、皇帝一家の愛用の品々もあり、シンプルな宮廷生活を今に伝えています。

ナポレオン3世時代の典型的家具である三つ脚のテーブルの後ろには、クリノリン・スタイルのエレガントなドレスを着たマネキンが置かれています。

そして1872年以降、ビアリッツはヨーロッパの上流階級や貴族らが集う場所となり、その様は「王たちの海辺」と呼ばれるほどのものでした。ミュゼには、その様子を切り取った写真がたくさん展示されています。ベルギー国王、スウェーデン国王、ロシア皇后、ランドー型馬車に乗ったヴィクトリア女王、スーツと帽子を被ったエレガントな国王エドワード7世がセント・アンドリューズ教会から出てくる場面や競馬場やニーヴ川の急流を下っている場面、絵を描いているチャーチル……さらに、別荘「ヴィラ・レ・ヴァーグ」のバルコニーにいるロシア帝室一家、エナ・ド・バッテンバーグと婚約中のスペイン国王アルフォンス13世がエナと話しながら、コンバーティブルの車から降りてくる場面を写した一連の写真と銅版画、スウェーデンのオスカルII世や、オーストリア皇后シシィが1896年にビアリッツに滞在した際の肖像画もぜひ、ご覧になってください。シシィはビアリッツに3回滞在し、早朝に海辺を散歩するのが好きだったそうです。プロイセンの宰相ビスマルクが描かれた皿もあります。彼は「ビアリッツ会談」(1865年)でナポレオン3世と会い、フランスの中立を得ようと試みたのでした。

1876年に着工したセント・アンドリューズ教会のゲストブックも興味深い展示品のひとつ。ビアリッツが高級リゾート地となる転換期を迎えたのは1855年のことでした。近郊の町バイヨンヌまで列車の路線が延び、この町に観光客がやって来るようになったのです。人々を美しい風景や海、レジャーへと誘う一連のポスター広告も、ビアリッツの発展に大きく寄与しました。1888年には英国貴族が最初のゴルフ場「灯台のゴルフ場」の創設に貢献し、最初の馬術競技に参加しました。新たな富裕層を呼び込むために、ホテルや別荘といった新しい建物が建てられました。そして1910年、エドワード7世により空港が竣工しました。

1890年から1914年にかけては、王侯貴族に続き、ジョルジュ・クレマンソーなどの政治家や、アレクサンドル・デュマやエミール・ゾラといった文壇の人々がやってきました。1915年にはココ・シャネルが、この地に店を構え、第一次世界大戦が終わると、エルメスやランバン、ポワレといった高級メゾンも出店に乗り出しました。ワンピース水着の第一号は、ジャンヌ・ランバンがビアリッツで売り出したものなのですよ。
1920年から1930年には、南北アメリカからの観光客が訪れるようになり、豪華なパーティーが数多く開かれました。例えば、1922年9月20日に、宮殿で催された「第二帝政のダンスパーティー」は、『イリュストラシオン』誌の中央ページで紹介されました。ジャージ素材のスーツに身を包んだガブリエル・シャネルの写真(1928年)、デザイナーのポール・ポワレのドレス、プドゥザールのデッサンが掲載された雑誌『ビアリッツ』(1929年)……ああ、ビアリッツはなんとエレガントな町だったのでしょうか。

Update : 2021.4.1

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