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ジロデ美術館、モンタルジマダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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フランスに戻ったジロデはアトリエを開き、社交界の人々の肖像画を数多く手掛けました。当時、第一執政官の地位にあったナポレオン・ボナパルト(1769-1821)を描くためマルメゾン城に滞在したこともあります。《洪水の情景》(1806年)では人々を戦慄させ、10年間でもっとも優れた画家に贈られる賞を、ダヴィッドを凌いで獲得します。代表作《アタラの埋葬》(1808年)では、大衆好みの感傷的なテーマを取り入れることに成功。同年、レジオン・ドヌール勲章を受章しています。気風の似た作家シャトーブリアン(1768-1848)と親交を結び、肖像画(1809)を描きましたが、シャトーブリアンを風に髪をなびかせて瞑想するロマン主義的英雄として描いたその肖像画は、フランスではとても有名なものです。1809年、ジロデはトリオゾン医師の養子となり、以降、ジロデ=トリオゾンを名乗ることになります。帝政期の1810年、ジロデはナポレオンの偉業を描く絵画の制作に関与し、《カイロの反乱》《ウィーン市の鍵を受け取るナポレオン》をサロンに出品。さらに1812年には、各地の裁判所に飾るナポレオンの全身像36点の注文を得ます(26点のみ制作)。1813年、コンピエーニュ城の装飾に携わり、フレスコ画を手掛けました。また、作詩や、彼が好んだ本の挿絵の世界にも没頭します。1824年にこの世を去るとペール=ラシェーズ墓地に葬られますが、骨壺に収めた心臓はモンタルジへの帰郷を果たし、今も聖マドレーヌ教会に眠っています。

それでは明るく風通しのよい1階の展示室から、見学を始めることといたしましょう。まずは、美術館の創始者たちの紹介があります。ジロデの胸像が彫られた大理石のメダイオンはアンリ・ド・トリケティによるもの。テオドール・ジェリコーの作品《3つの頭蓋骨》(1815-20年頃)は、死をテーマにした17世紀の「ヴァニテ」に連なり、瞑想へと誘います。そして、カード遊びに夢中になるかわいらしい少女《トランプの城》(1865年)は、シャルル・ジョシュア・シャプラン(1825-1891)の作品です。

2階は、アンリ・ド・トリケティの彫刻作品コレクションに充てられています。トリケティはフランスよりもイギリスでよく知られた彫刻家。ヴィクトリア女王(1819-1901)の注文で、その夫アルバート・ド・サックス=コーブルク公子(1819-1861)の墓碑と祭壇の装飾の制作もしているほどです。このミュゼでは、その時に造られた墓碑と祭壇の模型をご覧いただけます。来た道を一旦戻ると、ギャラリーが見えてきます。最初に出会うのは、美術館の創設者たちが教育目的で集めた古い絵画コレクションですが、とりわけ傑作の名にふさわしいのはスルバラン(1598-1664)による《悔悛する聖ヒエロニムス》(1560年頃)でしょう。カラヴァッジョ風の明暗表現が目を引く作品で、断食によって痩せ細った聖ヒエロニムスが赤い布を身に纏い、彼の象徴であるライオンとともに描かれています。

イタリア絵画では、16世紀から18世紀の作品がありますが、中でもロドヴィコ・カラッチ(1555-1619)の《エッケ・ホモ(この人を見よ)》は、荊の冠と真紅のローブが、白い顔とコントラストをなし、無限の悲しみと大きな苦しみが表現された素晴らしい作品です。オランダ絵画からは、とりわけ生き生きとした2点の絵画を挙げましょう。《美術愛好者が訪れる絵画ギャラリー》(17世紀末)はヒエロニムス・ヤンセン(1824-1693)の手によるもので、コレクターたちが珍しい品々を集め展示した「驚異の部屋」を描いたものです。フランス絵画では、シャルル=ジョゼフ・ナトワール(1700-1777)の《ウェスタの巫女トゥチア》(1747年頃)をお見逃しなく。トゥチアは貞節を表す人物像で、コントラストの少ない柔らかな色合いが美しい作品です。

Update : 2021.9.1

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