ジヴェルニー, モネの庭
モネが愛した芸術のミューズが宿る庭。
日本語 francais


庭を愛する心に導かれた、ジヴェルニーとの出会い。
● モネと庭師により伝承された、庭の姿。
この庭のすべてがモネの作品であり、パレット。
庭が浮かび上がらせる、モネの人物像。
生きた作品を守る、10人の庭師たち。
ジヴェルニーにみる、日本との深いつながり。
ヴァエ氏が解き明かす
四季ごとのヴェルニーの魅力
日本で出会える「モネの庭」
モネと庭師により伝承された、庭の姿。
MMF:クロード・モネの庭を再生するために、どのような情報源を利用したのですか?

GV:クロード・モネは、1926年12月5日にこの世を去り、庭にも別れを告げました。モネの娘であるブランシュ・オシュデが、1947年12月8日に亡くなるまで、この庭の管理を続けました。生存する最後の息子であったミシェル・モネがその所有権を継ぎましたが、彼はここに定住せず、管理のために庭師兼管理人の夫婦、ブラン一家を雇いました。1966年、ミシェル・モネはヴェルノンで起きた交通事故で死去します。ミシェル・モネは、クロード・モネ直系の最後の子孫でありながら、子供も兄弟もなかったため、その遺言書によりクロード・モネの所有地とそこに属していたものは、美術アカデミーに遺贈されました。屋敷にあった絵画と、文献、写真などの資料類は、セキュリティー上の理由から、やはり同アカデミーの所属であるマルモッタン美術館に移送されました。これらの作品や資料は、パリ16区のルイ・ボイリー通り2番地のマルモッタン美術館で一般に公開展示されています。(開館時間10時から18時、月曜定休、5月1日と12月25日は閉館)
ヴァン・デル・ケンプ氏ご夫妻、1978年撮影
© G.VAHE / Fondation Claude Monet
クロード・モネの死去からヴァン・デル・ケンプ氏がモネの庭の復元計画に着手するまで、わずか50年(1926年−1976年)しか経っていませんでした。さらに、モネとケンプ氏2人の人物にはかなりの類似点もありました。結婚を2回しており、その2番目の妻は実業家としての一面をもち、ガーデニングに情熱を燃やす画家でした。また、共通の友人や家族と頻繁に会うための労を惜しまない2人でした。そのおかげで、ジヴェルニーで幼年時代を過ごしたオシュデ・モネ一家や、トリュフォー、ヴィルモランといった納入業者、この庭で働いていた庭師たちの下にある多数の情報を集めることができたのです。
またクロード・モネは写真の草創期に生き、この新しい発明品に興味を持っていました。モネは、自分の庭を写したオートクロームのカラー写真数点や、白黒写真のネガを残しました。これらの写真も、この庭の雰囲気を決定するために役立ちました。
続き
La Fondation Claude Monet
© G.VAHE / Fondation Claude Monet
所在地:
Fondation Claude Monet
84,Rue Claude-Monet 27620 Giverny
休館日:
11月2日-3月31日
開館時間:
9:30-18:00
入館料:(庭園と邸宅)
一般:9ユーロ
(学生・20名以上:4.5ユーロ、身障者:4ユーロ、12歳未満:5ユーロ、7歳未満無料)
URL:
http://www.fondation-monet.com/
情報は予告なく変更となる場合がございます。詳細はMMFにご来館の上おたずねください。
<耳より情報>
「モネが愛した浮世絵」
モネがその絵画や造園で影響を受けたことで知られ、彼自身が集めた浮世絵コレクションを、モネの邸宅内で見ることができます。 庭園ととも鑑賞する楽しみが深まります。
日本で出会える「モネの庭」
ヴァエ氏の作品が見られる
四国「北川村モネの庭マルモッタン」
MMFで出会える「ジヴェルニーの庭」
写真集「ジヴェルニーの庭と邸宅」など、モネの庭に関するカタログや書籍、資料が閲覧いただけます。
「ジヴェルニーの庭」にちなんだミュージアムグッズへ
 

*情報はMMMwebサイト更新時のものです。予告なく変更となる場合がございます。詳細は観光局ホームページ等でご確認いただくか、MMMにご来館の上おたずねください。

backnumber

*情報はMMMwebサイト更新時のものです。予告なく変更となる場合がございます。詳細は観光局ホームページ等でご確認いただくか、MMMにご来館の上おたずねください。