Francais 日本語 ピエール・ロティの家
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▲「赤のサロン」
Maison Pierre Loti © Ville de Rochefort

ピエール・ロティの家は、1973年以降、一般に公開されています。贅を尽くした室内装飾や数多の記念の品々もふくめ、何もかもがロティ在りし日のままに残されているため、見学するためには、事前にガイドツアーを予約しなければなりません。


▲「青のサロン」
Maison Pierre Loti © Ville de Rochefort

はじまりはサロンから。いずれも当時のブルジョワ階級ならではのサロンですが、その古典主義的な雰囲気、それどころか飾り気のなさには驚かれることでしょう。ひとつ目は、家の中央にある「赤のサロン」です。19世紀の室内の雰囲気を今に残していて、壁には芸術家だったロティのお姉さまが描いた家族の肖像画が掛けられています。エドモンド・ド・ピュリ(1845-1911)によるロティの肖像画も2点飾られており、印象的な作家の姿を今に伝えています。1枚は海軍大尉の制服に身を包んだ威厳に満ちた肖像、もう1枚はオスマン帝国戦士姿の尊大な肖像です。お次は「青のサロン」へ。ボルドー貴族出身のロティの妻の好みを映し、18世紀古典主義様式の装飾がなされた部屋です。


▲ルネサンス様式の部屋
Maison Pierre Loti © Ville de Rochefort

さて、ここからがロティの家ならではのユニークな空間のはじまりです。現実世界を離れて、いざ夢の世界へ。ロティはお城での暮らしや、豪奢に飾り立てられた場所を好んでいました。彼は、ルネサンス様式の部屋と、お城にあるような応接間を再現しました。応接間には17世紀のフランドルのタピスリーが5枚、飾られていますが、いずれもルーベンス(1577-1640)がカルトンを手がけた『コンスタンティン皇帝の伝記』に由来するものです。
建物の2フロアを占めるこの部屋は、その大きさ、そして空想的な室内装飾がとても印象的。ルイ15世様式の暖炉はロティ自らがデザインしたものです。大きな天窓には、ステンドグラスがはめ込まれ、ロティの妻が持つ貴族の紋章と、ロティ自身が考えた独自の紋章があしらわれています。彼はこの部屋に奥行きを与えようと、壮麗な階段を設置し、好んで開いたパーティーでは、その階段をお芝居の舞台として使いました。


▲ゴシック様式の部屋
Maison Pierre Loti © Ville de Rochefort

階段を上ると、そこは19世紀後半に流行したゴシック様式の部屋。木製の聖職者席が置かれ、格天井や壁に突き立てられた教区の旗、そして大きな暖炉など、中世を思わせる装飾がなされています。ゴシック・フランボワイヤン様式の入口部分が、上下さかさまに組み立てられていることにも驚かされますが、このことは、ロティが本物であることにこだわることなく、印象的な部屋にしようとしていたことの表れなのでしょう。
この部屋が初めて使われたのは1888年。招待客はもちろん使用人にいたるまで、すべての人が中世風の衣装に身をまとった、ルイ11世風の贅沢な晩餐会のときのことでした。招待状とメニューは古いフランス語で書かれ、ドラジェを載せる脚付の杯や、昔の水差し、口の広い脚付グラスなど、食器類にもふさわしいものが選ばれました。


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