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ブルトイユ城 バックナンバーを読む
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▲バルコニーからの中庭の眺め
©Milochau

「大回廊」の隣には、客人を迎えるにふさわしく、素晴らしい家具調度を備えたサロンが幾つか続いています。ルイ15世時代の木造装飾の残る「四季の間」には、その名の由来となった4点のゴブラン織りのタピスリーが飾られています。冬のタピスリーには火鉢で温まるサテュロスといったように、それぞれのタピスリーに四季を表す円形の絵が描かれているのです。また、このサロンでは、日本の安土桃山時代の素晴らしい漆塗りの箱もお見逃しになりませんように。金箔貼りの木製彫刻が施されたルイ14世時代の豪華な台座に置かれています。


▲「王妃のサロン」。蝋人形は左からロアン枢機卿、マリー=アントワネット、ルイ16世、ブルトイユ男爵
©A. de Montalembert

2階に上がると、マリベール磁器の豪華な食器類を収めた素敵なキャビネットがある部屋があります。食器には、紺地に金の鷹のブルトイユ家の紋章が入っていますが、これは、スウェーデン国王から、当時大使を務めていたブルトイユ男爵(ルイ=オーギュスト)に贈られたものです。そして、その次に続く各部屋には、総勢50体もの驚くほど精巧な蝋人形によって、さまざまな時代が再現されています。例えば、「王妃のサロン」では、1785年8月15日、ルイ16世が、ロアン枢機卿(1734-1803)の逮捕令状に署名する場面が再現されています。パニエでふくらませたドレスを着たエレガントな王妃マリー=アントワネットと、当時内務大臣だったブルトイユ男爵もこの場に同席しています。


▲「王妃のサロン」に飾られた王太子ルイ=シャルルの肖像画(左)
©Milochau

▲ヴィジェ・ルブラン《フランス王妃マリー=アントワネット》
©Milochau

ロアン枢機卿は、王妃の名を騙り高額なダイヤモンドの首飾りを購入したかどで告発されました。かの有名な「首飾り事件」です。この真相は、王妃の親しい友人を自称するラ・モット伯爵夫人(1756-91)が、ロアン枢機卿を騙して首飾りを買わせ、それを王妃に渡すと偽って、転売したというもので、ロアン枢機卿は裁判にかけられましたが、無罪となりました。しかし、マリー=アントワネットの陰謀説が流布され、王権が民衆の支持を失うきっかけともなりました。
国王夫妻と親しかったブルトイユ男爵が王妃から賜った数々の贈り物も展示されています。例えば、革命期にこの世を去った王太子ルイ=シャルル(ルイ17世/1785-1795)のアレクサンドル・クシャルスキ(1741-1819)による肖像画。また、ガラスケースには金箔を貼ったブロンズ製の美しい糸車があります。王妃専属の画家ヴィジェ・ルブラン夫人(1755-1842)によるマリー=アントワネット美しい肖像画も掛けられていますので、ぜひ、ご覧になってみてくださいね。


▲車椅子に座ったルイ18世
©A. de Montalembert

18世紀には、ほとんどのお城にゲームのための特別の部屋がひとつありました。ゲーム室には、現在もトリックトラックやジャケ*といったゲームのための美しいテーブルが残されています。在りし日のままの姿を保つ図書室には、ルイ16世の障害のあった弟、国王ルイ18世(在位1814-24)がジャコブ(1799-1870)の焼き印入りの車椅子に座っているシーンが再現されています。ナポレオン1世の失脚後にフランスに戻ったルイ18世が、君主制を復活させたドゥカーズ公爵(1780-1860)、そしてブルトイユ侯爵の協力のもと、欽定憲章を起草した際の一場面です。


▲「喫煙室」で協議するエドワード7世(右)、レオン・ガンベッタ(中央)とブルトイユ侯爵
©Château de Breteuil

隣の「喫煙室」へ足を踏み入れれば、そこは19世紀の世界です。ここでは、1881年3月12日、ブルトイユ侯爵(アンリ)が、未来のイギリス王エドワード7世(1841-1910)と下院議長レオン・ガンベッタ(1838-1882)を招いた際の様子が再現されています。座り心地の良い革製のソファーや肘掛け椅子に座り、彼らは英仏協商(1904年)に結実することになる英仏間の協定について協議しているところです。窓の前には、シャンパンを冷やしておくための小さな素敵な家具が置かれています。


▲帝政時代の浴槽と浴槽用の湯沸かしが残る浴室
©Milochau

浴室では、帝政時代の亜鉛製の浴槽(当時はまだ珍しいものでした)と湯沸かしをご覧いただけるでしょう。上の階には水道がなかった当時、湯沸かしに水をいれるには水差しを使わなければなりませんでした。

*トリックトラックやジャケ*ともにバックギャモンの一種。


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