ジョルジュ・ラビ美術館 林忠正 チェルヌスキ美術館 フランスで出会う日本の美
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03.日本とアンリ・チェルヌスキ〜旅、コレクション、美術館〜
チェルヌスキのアジアへの旅 日本美術コレクション 邸宅から美術館へ
邸宅から美術館へ  
▲チェルヌスキ美術館の外観。
© Christophe Fouin/ Musée Cernuschi
 アンリ・チェルヌスキがヴェラスケス通りに建てた邸宅には、所有者の趣味がよく反映されています。建物はオスマン様式よりも、1840年代に北イタリアで流行していたネオクラシック様式に類似しています。ファサードにはめ込まれた、アリストテレスとレオナルド・ダ・ヴィンチを表したふたつのモザイクのメダルは、チェルヌスキが特に好んだものです。入り口の扉には、かつては「2月」と「9月」というフランスに共和制をもたらしたふたつの日付が入っていました(1848年2月24日と1870年9月4日)。古風なアッティカ風の髭をはやした男性像柱が、豊かな扉上部装飾の力強いモールディングを支えています。  
 チェルヌスキが手に入れた比較的小さな面積の土地は、ヴェラスケス通りで唯一建物が建っていない場所でした。幅が狭く奥行きのある土地には、19世紀ブルジョワ家庭に必要な広い邸宅を建てることはできませんでしたが、独り住まいの一軒家には十分でした。  
 建築家バウエンスは、ヴェネチアの宮殿のポルティコ(柱廊)から着想を得て、大きなパラディオ様式の窓のある広い部屋を邸宅の中心に配しました。ここには、家主チェルヌスキのアジア美術コレクションが飾られることになっていました。オペラの舞台装置のように、4メートルの高さのブロンズの仏像が見下ろしています。この阿弥陀仏は、東京・目黒の小さな寺にあったものです。仏像が納められていた建物が火事にあって以来、屋外に放置されていたところ、チェルヌスキが買い取り、解体してパリに送られ、バルブディエンヌのアトリエにて元の状態に組み立てられました。
▲1920年代頃の中国美術と阿弥陀仏の展示室。
© Albert Harlingue / Roger-Viollet
 
 2階のほかの部屋は、アンリ・チェルヌスキの居室です。現在は美術館の新しい図書館のある3階の通りに面した側は、チェルヌスキが友人を泊める部屋として使っていたようです。使用人たちは、現在は保管庫となっている建物の後ろ側、厩舎の上の部分に寝泊まりしていました。
 チェルヌスキが亡くなると、邸宅とアジア美術コレクションはパリ市に寄贈され、美術館は1898年に開館しました。チェルヌスキのかつての秘書が最初の学芸員を務め、美術館をチェルヌスキ生前のまま保ちました。1905年に学芸員となるアンリ・ダルデン・ド・ティザック(1877-1932)は、近代的な美術館にするため、すべてを変えました。歴代の学芸員の下、寄贈や作品購入によって着々と増えてゆくコレクションを収蔵するために、少しずつ建物が改修されていきました。最後の改修は2005年に完了し、常設の作品がよりよく展示されるようになりました。
 
*参考文献 / Michel Maucuer Henri Cernuschi, 1821-1896 : voyageur et collectionneur. Paris : Paris-Musées , 1998,p23-31  
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*フランス語版テキストはチェルヌスキ美術館のwebサイトを引用しています。
翻訳:阿倍明日香
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