海洋博物館 企画展「水兵がモードを創る」 ガリエラ美術館 企画展「クリノリンの帝国のもとで」

デパートの発展とオートクチュールの誕生
 第二帝政期におけるデパートの発展は、舞踏会と同様に当時の資本主義経済の強力なシンボルです。パレ・ロワイヤル広場に面したルーヴル・デパートとパリの左岸にあるボン・マルシェは1865年、1869年にそれぞれ規模を拡大し、1865年にはパリのオスマン大通りにプランタンが開店します。それまでの特定の顧客に依存した専門店とは一線を画す方法で、デパートはより商業化された、新しい形の“贅沢”を人々に普及させることに成功します。1855年と1867年に開催されたパリ万国博覧会で紹介されたモードの新製品は、そのままデパートのショーウィンドーを飾ることになります。パリ万博の成功は当時のデパートの発展に重要な役割を果たし、モードの商業化を後押しする形になりました。
▲1877年のルーヴル・デパートの様子。現在は高級アンティークの集合店舗ルーヴル・デ・ザンティケールになっている
© Public domain
▲1867年のパリ万博の景色が 描かれた紙製の扇
© Yoko Masuda
▲ウォルトの名が記されたドレス( 1869年頃)
© Stéphane Piera / Galliera / Roger-Viollet
 また当時のモードの商業化の象徴として、フランスにおけるオートクチュールの誕生が挙げられます。オートクチュールの父とも呼ばれるシャルル・フレデリック・ウォルト(Charles Frederick Worth)は、1857年にパリで婦人服のメゾンを開きます。イギリス出身であるウォルトはイギリス市場の優れた点とパリの婦人服の仕立て屋の技術を融合させ、パリの高級婦人服店として大きな成功を収めました。それまでのように顧客の注文に合わせてデザインや仕立てを行うのではなく、商品をデザインし、作品として販売する点が彼のメゾンの大きな特徴でした。メゾンは皇后ウジェニーをはじめ一流の顧客を集めることに成功し、大きな名声を得ます。
第二帝政期の華やぎが生きる“リュクスな街”パリ
▲高級ブティックの並ぶヴァンドーム広場。左手にはラ・ペ通りが続いている
© Yoko Masuda
 展覧会の最後は、第二帝政期の女性を華やかに引き立てた宝飾品の展示で締めくくられています。当時は裕福なブルジョワジーが、その経済的成功を誇示するような時代であったため、宮廷の舞踏会にも劣らない豪華なパーティーが夜ごと開かれるなど、彼らの暮らしぶりはたいへん贅沢なものでした。こうした贅を極めるブルジョワの人々の需要に応えるように、パリには高級品の製造業や一流の職人が集まり、宝飾産業も発展します。現在高級ブティックの立ち並ぶパリのヴァンドーム広場や、ラ・ペ通りも、この時代には既に高級店の集中する中心地として栄えていました。パリが贅沢の都、“リュクスな街”としてその名声と評判を高め、現在世界中の人々を魅了するのも、この第二帝政期の華やかで豪奢な文化があったからと言えるでしょう。 ページトップへ
文・写真:増田葉子(Yoko Masuda)
著者プロフィール
明治大学文学部史学地理学科卒業後、パリ第4大学(ソルボンヌ大学)で美術史学を専攻し、修士課程修了。現在同大学美術史学博士課程。専門は19世紀後半の装飾美術、主にジャポニスム。
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美術館の コレクションと企画展第二帝政時代と 服飾文化モードの商業化と パリのリュクス
ガリエラ美術館
  • 所在地
    10, avenue Pierre 1er de Serbie 75016 Paris
  • Tel
    +33(0)1 56 52 86 00
  • Fax
    +33(0)1 47 23 38 37
  • アクセス
    地下鉄イエナ(Iéna)駅、またはアルマ・マルソー(Alma Marceau)駅より徒歩。
    ※ガリエラ美術館は企画展開催期間のみ開館。
  • 企画展情報
    「クリノリンの帝国のもとで〜1852-1870」 【開催期間】
    2008年11月29日-2009年4月26日
    【開館時間】
    火曜〜金曜は10 :00-18 :00、
    土曜・日曜は10 :00-19 :00
    【休館日】月曜
    【入館料】一般:8.5ユーロ、割引料金:7ユーロ、14歳-26歳: 4.20ユーロ
    ※この企画展の図録は、MMFインフォメーション・センターにて閲覧いただけます。

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