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パリ左岸の美術散策

パリのシンボル、エッフェル塔が見下ろす新旧美術スポット

 エッフェル塔がそびえ立つシャン・ド・マルス公園からアンヴァリッドにかけての一帯は、かつて「グルネル平野」と呼ばれ、野原が広がっていました。16世紀まで、この一帯では野菜が栽培され、林では狩りが行われていたといいます。17世紀後半になると、ルイ14世(Louis XIV)が戦争で重傷を負った兵士の功績を称えるため、傷痍軍人の療養施設であるアンヴァリッドを建設。この工事はヴェルサイユ宮殿以来の大規模なものでした。

17世紀時代のアンヴァリッド
© Photo RMN / Gérard Blot
 

 歴代のフランス国王は傷痍軍人を見舞うことを慣習としており、皇帝ナポレオン1世(Napoléon I)もアンヴァリッドを訪ね、負傷兵を激励しました。そのナポレオンは現在、アンヴァリッドのドームの下で眠っています。また、現在のシャン・ド・マルス公園は、ナポレオンの退位後の王政復古時代、騎馬レース場として使われていました。当時、競馬は上流階級の娯楽として人気を博し、レースの規模が徐々に大きくなったため、後にパリ西方のロンシャンへ移転し、現在のロンシャン競馬場が誕生したのです。

 国会議事堂や首相官邸、教育省などが集まるアンヴァリッドの東側には、“近代彫刻の父”といわれるロダン(Auguste Rodin)が住んだビロン館(現在のロダン美術館)があります。そのさらに東、グルネル通り沿いには、ロダンとも親交のあった画家で彫刻家のマイヨール(Aristide Maillol)の名を冠した美術館があります。ここは、マイヨールのモデルを長年にわたって務めたミューズ、ディナ・ヴィエルニー(Dina Vierny)によって建てられたものです。そのすぐそば、セーヌ河沿いにあるのは、現在改装工事が進められているオルセー美術館(改装による閉館はしていない)です。

美しくライトアップされたエッフェル塔
© ATOUT FRANCE / Hervé Le Gac
 

 そしてフランス革命の発端となったバスティーユ襲撃から100年を経た1889年の第4回パリ万国博覧会のために建設されたのが、エッフェル塔です。今やパリのシンボルとして世界中の人々から愛されているエッフェル塔ですが、建設当時は芸術家やパリ市民たちによる激しい抗議活動が繰り広げられました。107の案から選ばれたオーギュスト・エッフェル(Auguste Eiffel)の斬新な構想に、人々は「鉄筋のタワーなんて醜いに決まっている」、「美しいパリの街に建設すればフランスの恥になる」、「技術的に不可能」などと辛辣な言葉を浴びせかけたのです。しかしエッフェル塔の工事は遂行され、完成するや当時世界で最も高い建造物として注目を集めるようになりました。当初エッフェル塔は、パリ万博から20年を経た1909年に解体される予定でしたが、無線電波という新しい技術の出現による軍事・国防上重要な電波送信の拠点として取り壊しを逃れることになりました。

 このエッフェル塔の近くには、2006年、ケ・ブランリ美術館が開館しました。この一帯は、ルイ14世治世から万博の時代を経て現在まで、新旧のパリの名所が共存するエリアとして、多くの人々に愛され続けています。

  • エッフェル塔〜アンヴァリッド界隈
  • サン・ジェルマン・デ・プレ界隈
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エッフェル塔〜アンヴァリッド界隈の美術館・博物館

ロダン美術館
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マイヨール美術館
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オルセー美術館
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ケ・ブランリ美術館
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Update :2010.8.1
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