サヴィニャックってどんな人?

▲「チンザノ」1951年
©Raymond Savignac et son ayant-droit Annie Charpentier

 レイモン・サヴィニャック(Raymond Savignac)は1907年、パリでカフェレストランを営む家庭に生まれました。15歳でパリ市交通公団にイラストレーターとして入社したサヴィニャックは、ここで広告向けポスター画の修業を積むことになります。本格的に広告ポスターを描き始めたのは、その2年後、17歳になってからのことでした。不思議なことにサヴィニャックは、素描の素質があることを自ら悟っていたものの、画家になりたいと思うことはありませんでした。世界中から才能のある多くの芸術家が集まった1920年代から1930年代のパリで生活をしていたにもかかわらず、彼はカンヴァスに絵を描きたいという気にはまったくならなかったのです。それは、彼が庶民階級の出であったことと無縁ではありません。サヴィニャックは早く自立し、自分で稼がなくてはならなかったからです。

▲「ペリエ」1949/1955年
©Raymond Savignac et son ayant-droit Annie Charpentier

 26歳になったサヴィニャックは、グラフィック・デザインの巨匠カッサンドル(Cassandre/1901-1968)*が設立した広告代理店アリアンス・グラフィックで助手として働くことになりました。ここでサヴィニャックはカッサンドルのもと、広告デザインの基本を学び、その奥深さに目覚めていきます。自分は何が好きなのか、何が嫌いなのか――。師匠であるカッサンドルやさまざまなクライアントの要求に応えていくうちに、彼は独自の美意識を育んでいったのでしょう。そしてその芽が立派な花を咲かせたのは、ポスター作家として独立した後、1949年に手掛けた牛乳石鹸「モンサヴォン」のポスターでした。この1枚のポスターによって、彼は一気に有名ポスター作家の仲間入りをすることになります。この時サヴィニャックは41歳。遅咲きの人気ポスター作家の誕生でした。

▲「エールフランス」1957年
©Raymond Savignac et son ayant-droit Annie Charpentier

 その後、サヴィニャックのもとには「エールフランス」、「ペリエ」、「チンザノ」などの名だたる企業のポスターの依頼が舞い込むようになります。生涯に約800点のポスターを手掛けたといわれ、その仕事は、家電製品・食品・日用品のほか、イベント・映画・街の宣伝用ポスターなど多岐にわたりました。しかしサヴィニャックは「巨匠」といわれるようになってもなお、偉大な芸術家然としてカンヴァスに向かうことはありませんでした。彼は晩年に移り住んだノルマンディー地方のトゥルーヴィル=シュル=メールで2002年、94歳で没するまで、ひとりの“職人”としての生涯をまっとうしたのです。彼の亡き後も、フランス人にとっては子供の頃から親しんできた懐かしのポスター作家として、また世界からはフランスを代表するポスター作家として支持されています。

カッサンドル(Cassandre/1901-1968)*本名アドルフ・ジャン・マリー・ムーロン(Adolphe Jean Marie Mouron)。
ウクライナ北東部ハルキウでフランス人の両親のもとに生まれる。15歳でパリに移住し、複数の美術学校に通う。1921年から本格的に広告ポスターを描き、1925年にはパリ万国博覧会で最優秀賞を獲得し、世界的に有名になる。1930年仲間とアリアンス・グラフィックを設立し、ほかのフランス国内外の代理店に作品を提供するなど、数多くの広告ポスターを制作。1936年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)で「カッサンドル展」が開催される。広告ポスターのほか、オペラなど数多くの舞台セットを担当したことでも知られる。

ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)レイモン・サヴィニャック展─ 41歳、「牛乳石鹸モンサヴォン」のポスターで生まれた巨匠

2011年6月6日(月)- 6月28日(火)
〒104-0061東京都中央区銀座7-7-2 DNP銀座ビル1F
11:00am−7:00pm(土曜日は6:00pmまで)日曜・祝日休館 入場無料

Update : 2011.6.1
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