パリでの修業時代を終えたル・シダネルは、フランス国内をはじめ国外へも足を延ばし、独自の画風の確立のため旅を続けました。画家としてつかんだ成功の日々からその晩年の日々までをたどります。
パリを去ったル・シダネルが向かったのは故郷ダンケルクに程近いピカルディ地方の小さな漁村エタプルでした。古い風俗や方言などを守り続けるピカルディ地方を好んでモティーフとした画家は珍しくありません。しかし印象主義の影響を強く受けた彼が魅せられたのは、この地で暮らす人々ではなく、この地に降る「光」そのものだったのです。ル・シダネルはエタプルの光景を、薄暗い光と輝く光、強い光とかすかな光といった具合に、光の状況に応じて描き分けることに夢中になります。パリのサロンにも定期的に出品し、次第にその名を知られるようになった彼は、やがてイタリアのヴェネツィアやフィレンツェ、ベルギーのブリュージュなどを旅しながら、自らの「光」の表現を探し求めました。
そんな彼のカンヴァスからは徐々に人物の姿は消え、月夜のような淡い光が画面を支配するようになります。ついに、彼は自らの進むべき道を発見したのです。そんな彼の画風を文学者で批評家のカミーユ・モークレール(Camille Mauclair/1872-1945)はこう評しています。
「彼は、その中で生きているものの存在を充分に喚起させる、事物の無音の調和を創造した」
1901年3月3日、ル・シダネルはノルマンディー地方の小さな町ジェルブロワを訪れました。町をひと目で気に入ったル・シダネルは元修道僧の古い住居を見つけ、家族とともに暮らし始めます。以降この家から、数多の珠玉の作品群が生み出されていきました。
家や庭を自分好みに改装していったル・シダネルが、中でも情熱を注いだのが薔薇園作りでした。そして彼の薔薇園の評判を聞いた小さな町の住人たちも、彼に倣って、自分たちの家を、そして町全体を薔薇の花で飾っていったのです。やがて、ジェルブロワは「薔薇の街」として知られるようになり、現在ではフランスの「最も美しい村」のひとつに認定されています。ル・シダネルはカンヴァスの上だけでなく、ついには町そのものの装飾をも創作したといえるでしょう。
1909年、47歳のル・シダネルは、ヴェルサイユに引っ越します。一年を通じて生活をするには、あまりにもジェルブロワの冬は厳しかったのです。以降、ル・シダネル一家は、春から夏の時期はジェルブロワで、それ以外の時期はヴェルサイユで過ごすことになりました。
ヴェルサイユ宮殿のすぐ目の前に住んでいたにもかかわらず、彼は宮殿の内部にはまったく興味を示さず、もっぱら足しげく通ったのはその庭園でした。ヴェルサイユ宮殿の庭園は、自らの庭であり散歩道となったのです。
そして1939年7月、ル・シダネルは77年の幸福な生涯を閉じます。わずか5ヵ月前には、パリのシャルパンティエ画廊での個展を開催し、大成功を収めたばかりでした。
- 会期
2011年11月12日(土) 〜
2012年2月5日(日) - 会場
埼玉県立近代美術館 - 所在地
埼玉県さいたま市浦和区常盤9-30-1 - Tel
048-824-0111 - URL
http://www.momas.jp/ - 開館時間
10:00-17:30
*入館は閉館の30分前まで - 休館日
月曜日、
12月27日(火)〜1月6日(金)
*ただし1月9日(月・祝)は開館 - 観覧料
一般:1,100円
高校・大学生:880円
中学生以下と65歳以上:無料
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