順路に沿って作品を見ていきましょう。展覧会の冒頭を飾るセクションは印象派の先駆けとなった画家たちの作品です。コロー(Jean-Baptiste Camille Corot/1796-1875)、ブーダン(Eugène-Louis Boudin/1824-1898)、ヨンキント(Johan Barthold Jongkind/1819-1891)などが外光のもとで描いた明るい作品に見られる画風は、印象派の画家たちのテクニックを先取りしたものでした。自然のありのままの風景をモティーフに選んだ点も、印象派に影響を与えているのが見てとれます。
またマネ(Édouard Manet/1832-1883)は近代絵画の礎を築いた代表的な画家。印象派の画家たちと深い交流を持ち、新しい芸術の開花のための橋渡しを行った人物として重要な存在です。さらにこのセクションでは1857年頃に描かれたモネによる6点の風刺画も紹介しています。印象派として活躍する以前の若かりしモネの才能が垣間見られる貴重な展示です。
1874年は後に印象派と呼ばれることになる画家たちが「サロン」に対抗して、初めてグループ展(印象派展)を行った記念すべき年です。このグループ展に出品されたモネの《印象−日の出》こそが、「印象派」という呼称が生まれるきっかけとなった作品です。第1回印象派展にはモネ、ルノワール(Pierre-Auguste Renoir/1841-1919)、ピサロ(Camille Pissarro/1830-1903)、ドガ(Edgar Degas/1834-1917)、シスレー(Alfred Sisley/1839-1899)、モリゾ、ギヨマン(Armand Guillaumin/1841-1927)そしてセザンヌ(Paul Cézanne/1839-1906)が参加者として名を連ねました。
本展ではこれらすべての画家の作品を網羅しています。セーヌ河畔やノルマンディーの海岸など、光に満ちた自然の風景はこの時期から印象派の画家たちが好んだモティーフでした。
1874年の第1回印象派展は、批評家から不評を浴びせられましたが、その後印象派展はメンバーを変化させながら1886年まで8回にわたり開催されました。1880年代の印象派の画家たちは、決して恵まれた経済環境にはありませんでしたが、画家同士の友好関係を保ちながらそれぞれの仕事に専念し、各自のスタイルを確立していきました。
モネがジヴェルニーに移り住んだのは1880年代のこと。ほかの印象派の画家たちもある者はパリに留まり、ある者はモネのように地方に安息の地を見つけ、それぞれの風景を描きながら各々感性を磨き続けました。
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Update : 2014.4.1 文・写真 : 増田葉子(Yoko Masuda)
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