パリ5区のアラブ世界研究所で2014年4月4日から8月31日まで「オリエント急行展」が開催中です。展覧会の原名は"Il était une fois l'Orient Express"(昔々あるところに、オリエント急行という列車がありました)。19世紀末にヨーロッパとオリエント世界を初めて直通列車で結んだオリエント急行は、数々の小説や映画の題材にもなったことで知られています。2009年12月に惜しまれつつも126年の歴史に幕を下ろしたオリエント急行ですが、本展覧会ではフランス国鉄(SNCF)の全面協賛で、オリエント急行の実際の車両の展示が実現しました。開通の1883年から1950年代に焦点を当てた内容で、伝説的な豪華列車の歴史と名声を振り返ります。
オリエント急行は、ヨーロッパ各地の都市と中東の国々を列車で結んだ世界初の国際列車でした。その誕生はベルギーの実業家、ジョルジュ・ナゲルマケールス(Georges Nagelmackers/1845-1905)がアメリカを旅した際、プルマン社の寝台列車に感銘を受けたことがきっかけでした。さらに快適なものをヨーロッパで走らせたいという思いに駆られたナゲルマケールスは、1872年にベルギーで国際寝台車会社(Compagnie Internationale des Wagons-Lits)を設立し、その11年後にはパリとコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を結ぶ国際列車を開通させました。後にこの国際列車はヨーロッパとアジアを隔てるトルコのボスポラス海峡を越え、イラクのバグダード、エジプトのカイロやルクソール、アスワンまでルートを延ばしました。
オリエント急行は国境を越える寝台車として画期的であっただけでなく、その豪華な内装や行き届いたサービスで列車の旅の新たな1ページを開きました。
ルネ・ラリック(René Lalique/1860-1945)のガラス装飾、ゴブラン織の絨毯、打ち出し細工の革張り天井など、車内のあらゆるところに上質な素材とデザインが施され、食事の際には銀食器、クリスタルのグラス、刺繍の美しいナプキンが使用されました。また食事はパリの高級レストランと同レベルのものがサーブされ、寝台車ではシーツ類が毎日交換されるなど、列車の旅にしてホテルと変わらないサービスを得ることができたのです。過去の利用客には世界の著名人や王族が名を連ね、食堂車は時に歴史的な外交の場として用いられました。
またオリエント急行は贅を極めた高級列車という存在にとどまらず、西洋とオリエント世界の文化の往来にも重要な役割を果たしました。それまで外交官や探検家しか訪れなかった地に観光客も訪れるようになり、西洋とオリエント世界の新たな文化の結びつきを促したのです。オリエント急行の沿線には西洋人観光客を迎える豪華ホテルが建設され、中東の近代化にも影響を与えました。そして20世紀前半の中東はオスマン帝国の崩壊を機に新たな国境が生まれた時代。オリエント急行は中東の国境の変遷を眺めながら、歴史の目撃者としてヨーロッパからオリエント世界を駆け抜けたのでした。
Update : 2014.7.1 文・写真:増田葉子(Yoko Masuda)
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