ナポレオンの妻ジョゼフィーヌは、パリから16kmほど離れたマルメゾンに城を購入すると、周囲の荒れた土地を整備させ、理想的なイギリス式庭園を作り上げることに情熱を注ぎました。小川を掘り、田舎風の橋を架け、古代彫刻を配し、鬱蒼とした土地は見事な庭園として生まれ変わります。ジョゼフィーヌは自身が幼少時代を過ごしたカリブ海に浮かぶマルティニーク島に思いを馳せながら、亜熱帯植物を育てる巨大な温室まで作り、マルメゾン城の庭園を世界中の植物によって美しく彩ったのでした。ジョゼフィーヌの草花に対する熱意は愛好家の域を超え、マルメゾン城のために植物学者を雇うほどでした。
ルドゥーテの人生でもっとも恵まれ、創作意欲に満ちていたのは、ほかでもなくジョゼフィーヌの庇護のもとマルメゾン城で活動した時代です。ルドゥーテの代表的な著作に数えられる『ユリ科図譜』、『マルメゾンの庭園』などは、この時期に出版され、たいへん好評を博しました。そして何よりもルドゥーテの名声を高めたのは、ジョゼフィーヌの素晴らしいバラのコレクションを描いた『バラ図譜』の成功でした。
ジョゼフィーヌはナポレオンと別離した後も、マルメゾン城の庭園に情熱を注ぎ続けます。とりわけバラの蒐集に傾倒し、ヨーロッパ自生のバラはもちろん、中央アジア、中国など、世界中からさまざまな品種の種子とさし木を取り寄せました。たとえイギリスとフランスが戦争中であっても、その包囲網をくぐらせて新たな品種のバラを蒐集したといいます。そうしてジョゼフィーヌの営むバラ園は、当時ヨーロッパで随一のコレクションを誇るもっとも洗練されたバラ園となったのです。ルドゥーテはジョゼフィーヌの特異なまでのバラへの熱意の傍らで、『バラ図譜』の制作に駆り立てられます。ルドゥーテの代名詞ともなる『バラ図譜』が初めて出版されたのはジョゼフィーヌの没後の1817年のこと。以降1824年にかけ、3巻にわたって出版されました。169種類ものバラが描かれた同著は、いわばジョゼフィーヌとルドゥーテのコラボレーション作品、マルメゾンで香るバラへの愛情の結晶というわけです。
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Update : 2015.3.1 文・写真:増田葉子(Yoko Masuda)
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