ベルギーのディナン(Dinant)出身でルドゥーテの父・シャルル=ジョゼフ・ルドゥーテ(Charles-Joseph Redouté/1715-1776)は、パリのアカデミー・ド・サン・リュック(L'Académie de Saint-Luc)で絵を学んでいたところ、1743年にサン=テュベールの大修道院から修道院や教会の装飾を依頼され、サン=テュベールへとやって来ました。シャルル=ジョゼフはサン=テュベールの質素な庭付きの一軒家で妻と暮らし、6人の子供をもうけます。それら6人のうちの1人がピエール=ジョゼフ・ルドゥーテでした。ピエール=ジョゼフを含む3人の息子たちは父親と同様、絵の道に進み、サン=テュベールの修道院の装飾を手伝いながら絵の修業をしていました。当時修道院で庭園の手入れを行っていた医師兼薬剤師の修道士、イックマン(Hickmann)が若き日のピエール=ジョゼフ・ルドゥーテに植物の世界との出会いをもたらしたといわれています。
ピエール=ジョゼフはフランドルやオランダを旅したのち、兄のいるフランスへと渡りマリー=アントワネット(Marie-Antoinette/1755-1793)やナポレオン(Napoléon Bonaparte/1769-1821)の妻ジョゼフィーヌ(Joséphine de Beauharnais/1763-1814)のお抱えの植物画家となったことで有名です。またのちのベルギー王妃である、ルイーズ=マリー・ドルレアン(Louise-Marie d'Orléans/1812-1850)をはじめ、特権階級の子女にデッサンの指導も行っていました。兄のアントワーヌ=フェルディナンド(Antoine-Ferdinand Redouté/1756-1809)は舞台装飾のほか、フランスの現エリゼ宮やコンピエーニュ城などの内装を手掛ける装飾画家でした。弟のアンリ=ジョゼフはナポレオンのエジプト遠征の従軍画家として版画作品を残しています。3兄弟それぞれがフランスの特権階級の世界で活躍しており、ルドゥーテ家が才能ある芸術家の家系であったことが分かります。
サン=テュベールの町では、ルドゥーテの功績を称える目的で、「バラの日」と名づけられた催しが不定期に行われています。開催時期の7月には聖堂、旧修道院、また市庁舎など、町中の建物がさまざまな種類のバラで鮮やかに彩られます。前回の2010年の開催では、天気にも恵まれ町中が素晴らしく陽気な雰囲気に包まれました。
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Update : 2015.4.1 文・写真:増田葉子(Yoko Masuda)
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