シャルフベック26歳の年に制作されたこの作品は、イギリスのコーンウォール州の海辺の町セント・アイヴスで描かれました。そして本作が1889年のパリ万博で銅メダルを獲得すると、彼女は国際的な名声を得ることになります。病気で伏せていた少女は快復期を迎え、ベッドに寝ていることに飽きたのでしょうか。シーツを体に巻きつけて起き上がり、芽吹いたばかりの小枝をキラキラとした表情で見つめています。その光の描写、鮮やかな色彩からは印象派の、また大胆に画面を切り取った構図からはドガ(Edgar Degas/1834-1917)やマネ(Édouard Manet/1832-1883)の影響が感じられます。
少女の生命力と植物の芽吹きがみごとに響き合った作品です。婚約破棄の傷を乗り越えようとするシャルフベックの姿が投影された“精神的自画像”といわれています。
シャルフベックは生涯にわたって自画像を描き続けた画家でした。その数は絵画と素描で40点ほどが残されています。1914年、彼女はフィンランド芸術協会から自画像の制作を依頼されます。それは自国の美術界を代表する9人の画家の自画像を理事会室に飾るためのものでした。もちろん女性画家はシャルフベックひとり。試行錯誤の後、最終的に協会に提出されたのがこの自画像です。黒の背景と対照的に、桃色で印象的に引かれた口紅に、女性画家としてのシャルフベックの矜持が感じられます。
本作からは、この先の制作に対するちょっとした不安といった翳りのようなものも垣間見られる気がします。画面上部には一度描き込んだ自分の名前をこすりとったような跡が見られますが、彼女自身、これは自分の墓碑銘に刻まれた名前がやがて風化していく様だと表現しています。すでにこの頃からやがて来る死に対する怖れを抱いていたように思える作品です。
シャルフベックは生涯を終える最後の2年間に、20点以上の自画像を制作しました。死に向かう自らの姿をカンヴァスに刻み続ける彼女は何を思い絵筆を握っていたのでしょうか。若い頃に描かれた自画像とは一線を画す、これら晩年の自画像の数々は、死への恐怖に怯えながらも、目をそらすことなく自らの生を見つめ続けるひとりの女性の強さ、そして、描かずにはいられない画家としての性を訴えかけてきます。
シャルフベックは、晩年の自画像で残酷なまでに老いた自身の姿をさらけ出しました。彼女がいとこの娘ドーラに宛てた手紙には「自画像の本を沢山めくっています。けれども、デューラーやそのほかの画家のように自分を美化するのはまったく馬鹿げていると思います」と書き送り、自らを美化することに興味がないことを語っています。
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