時計製造博物館で案内役を務めているジュリー・ブラール(Julie Blard)さんに、常設展示の見どころを説明していただきました。
シャルル=アントワーヌ・クルットは、サン=ニコラ・ムーブメントと呼ばれる時計のメカニズムを1725年にこの地で開発しました。錆びの心配がない2枚の真鍮製の板で機械を挟み込むつくりのムーブメントです。サン=ニコラのムーブメントは振り子の振れ幅が小さいことから、横幅の狭いエレガントな振り子時計を製造することが可能でした。ドゥモワゼル・デ・ゼレガント(エレガントな若い女性の意)と呼ばれる時計は、背が高くたいへん細身であるのが特徴です。花冠の装飾が付いており、サン=ニコラで製造されたもっとも典型的な時計のモデルといえるでしょう。
またサン=ニコラの時計は、ノルマンディー地方特有の家具に合わせた装飾が数多くなされました。大半の時計の外枠はオークを素材に使用しています。すべてが手作りでとても高価であったサン=ニコラの時計は、婚姻の際のプレゼントとして家族から贈られることもありました。娘が誕生した際にオークの苗木を植え、娘の結婚を機にともに成長したオークの木を切って、時計の材料として使用したそうです。装飾も、つがいの鳥など、婚姻を象徴するモチーフがご覧になれます。
大型の振り子時計とはまた別のタイプの時計がサン=ニコラで作られるようになったのは、フランス革命の後です。革命によって社会の構造が大きく変化すると、高価であったサン=ニコラの時計の注文が激減し、町は経済危機に陥ってしまいます。そこで地方の知事によって、パリからサン=ニコラに新たな技術者が送られました。それがオノレ・ポンス(Honoré Pons/1773-1851)でした。彼が取り組んだのは、パリのムーブメントを利用した時計作りです。錘(おもり)の代わりにばねを使用するもので、小型の時計の製造が可能になります。19世紀当時のオスマン様式のアパートでは、大型の振り子時計は時代遅れとなり、代わりに暖炉の上に置ける置時計が主流となりました。装飾も金で彩られた金属製のものが多くを占めています。当時のサン=ニコラの時計製造は、機械の部分が主で、装飾部分はパリで仕上げられることが多かったようです。
暖炉用の置時計よりも、さらに小さい時計が作られるようになるのは、19世紀に旅行文化が発達したことによります。小型のメカニズムはスイスのブレゲ社によって発明されました。ディナーの時間やカジノの時間、とりわけ鉄道に乗り遅れないためにも、持ち運びできる時計は旅行中に必須のアイテムだったのです。
次ページでは、引き続きブラールさんに
19世紀末〜20世紀後半の展示品を紹介してもらいます。>>
Update : 2015.11.1 文・写真 : 増田葉子(Yoko Masuda)
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