展覧会の見どころのひとつが、今回を機に本格的に研究のなされたファンタンの写真コレクションです。ファンタンの死後、同様に画家であった妻ヴィクトリアによって、彼の故郷であるグルノーブルの美術館に彼の作品関連の遺品が寄贈されました。その中に含まれていたのが、本展で紹介されている膨大な量の裸婦の写真コレクションや、それらをもとにした素描の数々です。写真と素描を照らし合わせた展示からも、写真の裸婦がファンタンの作品の裸婦像の直接的な手本になっていたことは明らかです。では実際のヌードモデルを使わずに写真の裸婦を描いていた理由はなんだったのでしょうか。当時はモデルを見つけることが容易でなかったこと、またファンタンの恥じらいや、気難しい性格が関係していたことも想像されます。いずれにせよ裸婦の写真がファンタンにとって、もっとも合理的な手本であったことは間違いなさそうです。
リアリズムの世界に身を捧げていたファンタンも、キャリアの後半にさしかかると、その関心をしだいにイマジネーションの世界へと注ぐようになります。ファンタンのイマジネーションを掻き立てたのは、彼と同時代に活躍したワーグナー(Richard Wagner/1813-1883)や、シューマン(Robert Schumann/1810-1856)、ベルリオーズ(Hector Berlioz/1803-1869)などの音楽作品でした。彼らの生み出す音楽に夢中になったファンタンは、古代や神話の世界からインスピレーションを得ながら、その世界観を惜しみなくカンヴァス上に表現しました。
本展ではベルリオーズへの讃辞をテーマにした作品《記念日》をクローズアップし、関連の版画や素描とともにファンタンの画業の転機を見つめ直しています。
ファンタンは1876年に描かれたこの作品で、リアリズムとイマジネーションという本来対立するふたつのテーマを調和させることを試みました。この作品はサロンでは期待したほどの評価を得るに至りませんでしたが、ファンタンにとっては自身の新たなページを開く重要な作品となりました。
1890年以降、ファンタンがサロンに出品するのは、イマジネーションの世界を描いた作品に限られるようになります。ファンタンは描くテーマだけでなく、構図や色彩、また筆のタッチに至るまで表現スタイルを一変させました。キャリアの終盤、あたかもリアリズムからの反動のように、理想化された裸婦やニンフの舞う詩的なイマジネーションの世界に没頭したのです。
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Update : 2016.11.1 文・写真 : 増田葉子(Yoko Masuda)
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