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MMFのwebサイトをご覧の皆さまのために、オルセー美術館が作品をセレクト、特別に鑑賞のポイントをまとめてくれました。
日本で開催中の「オルセー美術館展 19世紀 芸術家たちの楽園」に出品されている作品と、オルセーからめったに貸し出されることのない作品とをひとつのテーマで結ぶ、興味深い解説が展開されます。
全6回の連載で紹介されるのは、オルセーが誇る12点の名作。ここでしか楽しめないオルセーの絵画鑑賞を存分にご堪能ください。 |
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ピエール=オーギュスト・ルノワール
『絵筆を持つクロード・モネ』1875年
油彩 85×60.5cm オルセー美術館
©Photo:RMN/H.Lewandowski/digital file by DNPAC |
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エドゥアール・マネ
『読書』1865-1873年頃
油彩 60.5×73.5cm オルセー美術館
©Photo:RMN/J.G.Berizzi/digital file by DNPAC |
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芸術家の最新作を展示する定期的な展覧会は、1725年より「サロン」とよばれるようになったが、ここでは肖像画がかなりの場所を占めていた。毎年、批評家は肖像画の増加を嘆き、観客はうんざりしていたが、まだ画廊などの作品をさばくルートが存在しなかったときに、肖像画は多くの芸術家にとって主要な収入源であった。こうした傾向は19世紀を通して発展を遂げた。アカデミーの伝統に則らない作品が公式の展覧会に入選するようになると同時に、芸術家たちは画廊や展覧会を利用しはじめるようになり、芸術友の会が地方で増加してそれぞれが自分たちの展覧会を組織した。ルノワールは1870年以来サロンに落選していたが、このような状況を背景に1876年の第二回印象派展に前の年に描いたクロード・モネの肖像を発表することができた。おそらく1865年に描かれたエドゥアール・マネの『読書』は、マネの妻と息子両方の肖像で、古典的で調和のとれた構図と、革新的な明るい色調が特徴である。1866年にボルドーでの展覧会に出され、その際批評家のフィリップ・ビュルティが「白いモスリンを来た若い女性のすばらしい習作」(ガゼット・デ・ボザール、1866年6月号、p.564)と評した。 |
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