1839年 |
1月28日、エックス・アン・プロヴァンス、オペラ街28番地に生まれる。父は帽子店を経営するルイ・オーギュスト・セザンヌ、母はアン・エリザベット・オノリーヌ・オーベール。 |
1841年 |
7月4日、妹のマリーが誕生。 |
1844年 |
1月29日、両親が正式に結婚する。 |
1848年 |
6月1日、父がブルゴン街13番地に「Cézanne
& Cabassol」銀行を設立。 |
1849年〜
1852年 |
エックスのサン・ジョゼフ小学校に入学。 |
1852年〜
1858年 |
ブルボン中学在学中に、エミール・ゾラ(1840年生まれ)、ジャン=バティスタン・バイユに出会い、友情を結ぶ。 |
1854年 |
二番目の妹、ローズ誕生。 |
1857年 |
エックス市立の無料デッサン教室(現・グラネ美術館)に通い始める。人体素描と美術館収蔵の大理石像や石膏像を使っての古典模写のクラスを受講。 |
1858年 |
2月、ゾラがパリへ旅立つ。 |
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7月、大学入学資格試験(バカロレア)に不合格となる。 |
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11月12日、再試験の結果、大学入学資格試験に可の成績で合格。 |
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11月〜翌年の8月まで、エックスのデッサン教室に熱心に通う。 |
1859年 |
9月15日、父が別荘として「ジャズ・ド・ブッファン」を購入。一家は1870年頃に引っ越す。 |
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11月19日、エックスの法科大学に入学。デッサン教室の肖像画コンクールで2等賞を獲得。画家になることを夢見る。 |
1860年 |
2月、法科大学を退学。 |
1861年 |
初めてのパリ滞在中、ゾラに再会したセザンヌは、画塾「アカデミー・シュイス」でピサロに出会う。エコール・デ・ボザール(国立美術学校)の入学試験に失敗したのち、9月、エックスに戻り、父の銀行で働き出す。 |
1862年 |
再びエックスのデッサン教室に通い、人体素描の講座を受講。 |
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11月、父の銀行を辞め、パリに戻る。 |
1863年 |
「サロン・デ・ルフュゼ(落選者展)」に「アカデミー・シュイス」で描いた作品を出品。頻繁にピサロやギヨーマンなどに会う。またルーヴル美術館に通い、模写に励む。 |
1864年 |
「サロン(官展)」に初出品するも落選。しばらくレスタックに滞在。 |
1865年 |
パリで1年を過ごした後、夏にエックスに帰郷。ここで、ワーグナーの愛好者であるドイツ人音楽家、ハインリッヒ・モルスタットやヴァラブレーグ、マリオンと友人になる。 |
1866年 |
再び「サロン」に落選。セザンヌは美術長官に「落選者展」を開催するようにとの抗議文を送る。オワーズ地方のベヌクールにゾラ、バイユ、ヴァラブレーグとともに度々滞在。秋、エックスでパレットナイフを大胆に使った作品を数点描く(静物と自画像)。 |
1869年 |
パリの「アカデミー・シュイス」で未来の妻となるオルタンス・フィケに出会う。 |
1870年 |
3月31日、ゾラの結婚立会人をつとめる。普仏戦争を避け、レスタックに疎開する。 |
1872年 |
1月4日、パリで息子のポールが生まれる。 |
1873年 |
セザンヌはオルタンスと息子ポールとともに1年を通じてオーヴェル・シュル・オワーズで暮らす。ピサロとともに制作に励む。またガシェ医師のアトリエ用にエッチングを制作。 |
1874年〜
1877年 |
第1回・第3回の「印象派展」に参加。 |
1882年 |
ルノワールとレスタックで数日制作をともにする。旧友ギュメの口ぞえによって、初めて「サロン」へ入選がかなう。これが彼の最初にして最後の入選となった。 |
1886年 |
ガルダンヌに居住。 |
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3月31日、ゾラが『制作』を出版。 |
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4月28日、オルタンス・フィケと正式に結婚。 |
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10月23日、父が死去。多額の遺産と別荘を相続する。 |
1887年 |
中庭にピスタチオの木のあるシャトー・ノワールに部屋を借りる。 |
1895年 |
エックスからサント・ヴィクトワール山や小屋を借りたビベミュスの石切り場へ、頻繁に出かける。 |
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11月、ヴォラール画廊で初の個展が開かれる。 |
1897年 |
トロネやビベミュスの石切り場で制作。 |
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10月25日、母が死去。 |
1898年 |
3月9日〜6月10日、ヴォラール画廊で2度目の個展を開催。 |
1899年 |
別荘「ジャズ・ド・ブッファン」が売却されたのち、セザンヌはシャトー・ノワールを購入しようとするがかなわず、ブルゴン街23番地に引っ越す。 |
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「アンデパンダン展」に数作品を初出品。ヴォラール画廊で40点を展示。 |
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この年の終わりごろ、ヴォラールはセザンヌのアトリエを購入する。 |
1900年 |
5月、パリ万国博覧会「フランス芸術百年祭」に3作品が展示される。モーリス・ドニが『セザンヌ礼賛』(オルセー美術館蔵)を描く。 |
1901年 |
エックスの北部、ローヴに土地を購入し、アトリエを建てる。 |
1902年 |
「アンデパンダン展」に出品。 |
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11月、息子をただ一人の相続人とする遺言書を制作。 |
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ゾラの死を深く悲しむ。 |
1903年 |
第1回「サロン・ドートンヌ」に出品。 |
1904年 |
エミール・ベルナールが初めてセザンヌを訪問。7月、ベルナールは『L'Occident』誌にセザンヌに関する論文を発表する。 |
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10月15日〜11月15日、「サロン・ドートンヌ」で一室すべてを与えられ、セザンヌの作品が展示される。 |
1905年 |
1月〜2月、セザンヌの10作品がロンドンの展覧会で展示される。 |
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3月後半、最後となるエミール・ベルナールの訪問。 |
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6月、ヴォラール画廊で水彩画の展覧会 |
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夏の間はフォンテーヌブローで制作。 |
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10月1日〜16日、エミール・ベルナールが『Mercure
de France』誌に「回想のセザンヌ」を掲載。 |
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10月19日〜11月25日、「サロン・ドートンヌ」で10作品が展示される。 |
1906年 |
10月15日、野外で制作中、数時間にわたり嵐に打たれ倒れる。23日、エックスにおいて67歳で死去。 |
1907年 |
「サロン・ドートンヌ」でセザンヌの追悼展開催。56作品が展示される。 |