プロムナード・デ・ミュゼ・ド・フランス 「ヴェルサイユ宮殿と王女たちの香水:パリ・フランス文化を知る楽しさ」
フランス王アンリ2世の妃カトリーヌ・ド・メディシス、ルイ16世の妃マリー・アントワネット、そして皇帝ナポレオン3世の皇妃ウジェニー・ド・モンティジョ……。このフランス史上に名高い3人の妃は、じつは「香水」というフランスを代表する文化の発展に大きく寄与しているといいます。その成熟した香りは、パリから世界中に広がり、19世紀には西欧文化の窓口となった銀座にも届きました。今回は、広範な知識と軽妙な語り口で知られるフランス文学者、鹿島茂先生をお迎えして、フランスの「香り文化」の歴史をひも解きます。
香水展示/パルファム・セルジュ・ルタンス(提供:THE GINZA)

 今日はどんなお話が聞けるのだろうと期待に満ちた会場に、さっそうと登場された鹿島先生。先生のよく通るバリトンが、みるみるうちに観衆全員をフランスの歴史世界へと誘います。
「フランス王室には、外国の王家から妃を迎える習慣が古くからありました。カトリーヌはイタリア・メディチ家、マリーはオーストリア・ハプスブルグ家、そしてウジェニーは王族ではありませんが、スペイン貴族出身です。香水は国境を越えた文化・技術交流なしに発展はありえませんでした。外国の風俗・習慣などをフランス宮廷にもたらした王妃と香水には、必然的に深い関係があるのです」
 先生によれば、ヨーロッパ最初の香水は、1370年頃にハンガリー王女エリザベートによって作られた“ハンガリー王女水”だとのこと。じつは当時のヨーロッパでフランスは、こと香りに関しては後進国でした。

 まず、1533年に輿入れしたカトリーヌが、フランス王室にイタリアの進んだ香水技術を持ち込み、その約200年後、マリー・アントワネットが入浴の習慣を伝え、また、それまで主流だった麝香や竜涎香など動物系の香水に変わって、清潔な肌に合うフローラル系の香水を流行らせました。
「マリーの義父ルイ14世の日記を読んでみると、彼は年に1回ほどしか風呂に入らず、動物系の香水をよく使っていました。香水は体臭を隠すために使われたというのがこれまでの定説ですが、じつはフェロモンよろしく体臭を強調し、性的アピールに利用していたという説が最近では支持されています」
 19世紀中頃まではパリの街も不衛生そのもので、スイス出身の哲学者ジャン・ジャック・ルソーはその不潔さと臭さに怒りさえ覚えたほど。「当時のパリにタイムスリップしたら、皆さんのロマンチックなイメージも崩れ落ちるでしょうね」との先生のジョークに、会場に和やかな笑い声が響きました。
 そんなパリを清潔な街に大改造したのがナポレオン3世。皇妃ウジェニーも香水を愛し、皇妃好みの香りを作り出そうと多くの香水商がしのぎを削り、パリに一気に香水文化が花開きました。ナポレオン3世とウジェニーは、まさに夫婦でパリに「香り革命」を実行したというわけです。
「その後香水は、アールヌーヴォーやアールデコなど贅を凝らしたガラス容器づくりをはじめ、美しいパッケージ・デザイン文化、人々の豊かなイメージを喚起するネーミング技術など、さまざまな芸術の発展にもつながっていきました。高価な香水がつくり出す富がアーティストを育み、今でいうインダストリアル・デザイン、ファインアートを生み出す一つの要因にもなったのです」
 フランス王妃との深い関係、そしてフランスの芸術の一つの源流ともなった香水というテーマについて、ときには歴史書に隠された新事実、あるときは偉人たちの驚くような裏話の数々を、笑いを交えながら語られた鹿島先生のお話に魅了された2時間でした。
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