作品から紐解く モネの生涯
日本でもっとも知名度の高いフランスの画家といっても過言ではない、印象派の巨匠クロード・モネ。そのモネの作品を、同じ画家という視線でユーモアたっぷりに紐解いていただいた吉岡正人先生によるサロン講座は、作品解説にとどまらず、ひとりの人間としてのモネを浮き彫りにするものとなりました。

 真夏のような陽射しが降り注いだこの日、爽やかなストライプのシャツで登場された吉岡正人先生。「今日はモネについて、そしてモネに“便乗して”私の言いたいこともお話しさせていただきたいと思います」と、ユーモアを交えた軽妙な語り口でサロン講座は始まりました。
 モネの年譜をもとにお話は進みましたが、要所要所で先生が加えられるモネのエピソードは、参加者の皆さんから笑いや驚きの言葉が漏れるものばかり。モネに関してはすでに語りつくされている感がありますが、著書『モネ 名画に隠された謎を解く!』(中央公論新社)のために、実際、作品が描かれた地をたどる旅をされた先生が語られるお話はどれも新鮮です。
 例えば、美術史の本や画集では「モネに戸外制作を勧めたのは、同郷の画家ブーダンであり、彼がモネの画家としての目を開かせた」という一文でのみ語れることが多いこの運命的な出会いの背景にも、とても興味深い話が隠されていました。

「モネは少年時代すでに、故郷ル・アーヴルで戯画を描いてあっという間に2,000フラン(約200万円)を稼ぎ出していました。そんな折、パリから帰郷したブーダンが街でちょっと有名になっている少年に会ってみようか、ということになったのが、二人の出会いのきっかけだったのです」。モネの少年時代のエピソードに、参加者の皆さんは笑いを漏らしたり、感心したり。
 またモネの不思議な家族構成にも話は及びました。モネは最初の妻カミーユを亡くしてから、のちに有力パトロンであったエルネスト・オシュデの未亡人アリスと再婚をすることになりますが、じつはカミーユもエルネストもまだ存命だった頃に、なんとモネ一家とオシュデ一家は同居生活を始めていたのです。モネは総勢12人の家族を養わなくてはならない苦境に立たされ、いわゆる“売り絵”を多産する時代に入ります。
 「一般に売り絵を乱作すると世間からは『筆を汚した』と揶揄されますが、僕はそうは思いません。たくさんの絵を早く描かなくてはならないので、この時代のモネの作品には、溶き油を使わずチューブから出したままの絵具を使った、荒々しいタッチが見られます。ですが当時の作品からは、画面に決定的な色を的確に置く高い技術も見てとれます。モネはこの時代に、のちの『睡蓮』の連作につながる新しい表現方法を発見しているのです」
 画商や画家仲間たちからさえも「筆が荒れた」と批評された時代のモネの作品も、同じ画家としての視線から客観的に紐解いてくださる先生の言葉に、深くうなずく姿が会場のあちこちで見られました。
 もちろん講座の後は、MMFのサロン講座ならではのコミュニケーションの時間です。先生を囲んで、モネにまつわる質問はもちろん、ご自身の画家としての活躍に関するお話まで、皆さんは興味津々。講座内容はもちろん、先生のお人柄にも魅了されたサロン講座となりました。
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