『ルーヴルの主(あるじ)とコレクション』

日時:2010年4月9日(金)18:30-20:30
メルシャン軽井沢美術館で、4月17日から開催中の『「小さなルーヴル美術館」展 in 軽井沢』の準備のために来日された、エコール・ド・ルーヴルの講師クラリス・デュクロさんに、ルーヴルの主の姿を通して、800年におよぶ美術館の歴史を語っていただきました。

「こんばんは」
日本語で笑顔とともに挨拶をされた、クラリス・デュクロさん。デュクロさんはルーヴルの一角に設立された、考古学や美術史、博物館学などの講義が行われる文化庁管轄の高等情報機関「エコール・ド・ルーヴル」で主に生涯学習の講師を務められていらっしゃいます。ルーヴルのことを知りつくした先生のお話を聞く、またとないこのチャンスに多くの方々にお集まりいただきました。

ルーヴルの歴史は、12世紀末に建造された小さな城塞から始まります。デュクロさんが用意した城塞のミニアチュール(細密画)を見ると、その姿をより克明に想像することができます。こうして、参加者の皆さんは、ルーヴル800年の歴史の旅に出発することになりました。
「この城塞は、フィリップ・オーギュストによってパリを防御するために建てられました。アングロ・ノルマン人の侵入を避けるための城塞には王は住まず、兵士たちが住んでいました。今日、世界最大のコレクションを誇る美術館の一つのルーヴルからは、想像できない姿です」

この城塞が大きく姿を変えるのは、ルネサンスの時代です。中世のルーヴルは部分的に取り壊され、フランソワ1世、そしてその息子アンリ2世という二代の王を経て宮殿へと生まれ変わりました。
「フランソワ1世は心地よく暮らせる豪華な宮殿を望みました。その背景にはフランス国内が安定し、平和になったことがあります。また王は“芸術の友”と呼ばれるほどの芸術の擁護者であり、レオナルド・ダ・ヴィンチをイタリアから招聘したことでもよく知られています」

さらに時代は進み、古典主義の時代に入ると、アンリ4世がチュイルリー宮殿を完成させ、グランド・ギャラリーを建設することになります。
「このアンリ4世はルーヴルで亡くなった唯一人の王です。王はルーヴルのほとんど正面で暗殺されました。国民にとても愛されていた王の遺体は、宮殿内の『カリアティードの広間』に15日間安置され、多くの貴族が王との惜別の時間を過ごしたのです」

こうした国王とルーヴルのエピソードが随所にちりばめられたお話に、参加者の皆さんもぐんぐん引き込まれていく様子。アンリ4世から始まった古典主義時代のルーヴルの改築は、太陽王ルイ14世に継承されますが、すぐに建設工事は中止されてしまいます。王は小さい頃からパリを嫌っており、ヴェルサイユに新しい宮殿を建ててしまったからです。しかし、現在もその豪華な装飾で訪れる人々の感嘆を誘う「アポロンの間」などは、ルイ14世の時代に造られたものでした。
「現在、この『アポロンの間』では、王のコレクションだった宝飾品が展示されています。1793年に美術館として扉を開いたルーヴルは、さらに19世紀には皇帝ナポレオン1世、ナポレオン3世、20世紀になると大統領フランソワ・ミッテランらによって新しいギャラリーや建造物などが造られていきました。世界中から多くの人々が訪れるルーヴル美術館。その800年の歴史は、フランス国王や皇帝、大統領という、施政者の歴史でもあります。そしてルーヴルが所有する膨大なコレクションにも、王たちの好みが色濃く刻まれているのです」

後半では、現在MMFギャラリーにて開催中の「ルイ14世が愛した花たち〜王の植物図譜特集〜」で展示している「王の図譜」のお話もしていただきました。ルイ14世と植物図譜の意義について、銅版画の彩色の仕方など制作工程をふまえながら解説されました。短時間ながら、ぎゅっと凝縮されたお話は、参加者皆さんの知的好奇心を刺激するものになったようです。

参考資料:
・ルーヴル美術館公式サイト「ルーヴルの歴史」
・下記の書籍をはじめ、MMFインフォメーション・センターではルーヴルに関する70冊余りの資料を閲覧いただけます。
『ルーヴル美術館の歴史』
『ルーヴル見学案内』
『ルーヴル美術館の秘密』