「なぜ私たちはセザンヌに惹かれるのか〜その作品、人物像、女性観に迫る〜」

3月28日(水)に国立新美術館で開幕した「セザンヌ−パリとプロヴァンス」展は、今春注目の展覧会。出品作品のすべてがセザンヌというとても豪華な展覧会です。今回のMMF講座では、千足伸行氏を講師にお迎えし、「近代絵画の父」といわれるセザンヌの人と作品について、分かりやすくお話しいただきました。

▲講師のお話に、セザンヌという人物への関心がますます高まったMMF講座会場

 桜の花があちこちで満開に近づいた春の一夜。会場には厚いコートから春の装いとなった参加者の方々が続々と集まりました。
「国立新美術館でセザンヌの展覧会が始まりましたね。巨匠の展覧会の場合、〈○○とその仲間たち〉や〈○○とその時代〉といった形になりがちですが、今回は“水割り”や“オン・ザ・ロック”ではない、混ぜもののない100%セザンヌの展覧会です(笑)」

 千足先生ならではの、ユーモア溢れるひと言に、会場からは笑いが漏れます。

 そんなセザンヌの展覧会をより楽しむために、この日千足先生が用意された作品画像は40点ほど。まず画像を見る前に、セザンヌの人間性や画風を軽妙な語り口でお話しいただきました。

「セザンヌは人との付き合いが苦手な、今で言う“オタク”タイプでした。でも、もの静かな沈思黙考型でもなく、気に入らないことがあると怒鳴ったり、周囲の人に当たり散らしたり、描きかけの自分の作品を切り刻んだりもする激情型でした。昔から〈文は人なり〉と言いますが、画家の場合も当てはまります。これからお見せする作品画像で、どこにセザンヌの“瞬間湯沸かし器”的な性格が反映されているのか、読み取ってみてください」

 またセザンヌは日本でも巨匠として広く知られているにもかかわらず、なかなかその魅力を言い表すのが難しい画家でもあります。

「セザンヌはいわゆるうまい、器用な画家ではありませんでした。しかし技巧に長けた“うまい”絵が、人に感動を与えるとは限りません。セザンヌは、マティスやピカソをはじめ、多くの画家の尊敬を集めました。セザンヌの偉大さとはいったいなんだったのでしょう――」

 “ヘタウマ”な絵を描くセザンヌが「近代絵画の父」とまで呼ばれるようになった理由――。それを作品画像とともに、紐解いていくことになりました。

「まず、この一枚を見てください」

▲現代の言葉に置き換えて、分かりやすくウィットに富んだ講義を務めてくださった千足伸行先生

 会場からは驚きの声があがりました。画面に映し出されていたのは、いままさに首を絞められて苦しみ悶えている女性を描いた《絞殺される女》(1875〜76年、オルセー美術館蔵)。わたしたちがよく知っている風景画や静物画とは、似ても似つかない凄惨な場面を描いた作品です。

「これは初期の作品です。セザンヌはこの時代、暴力的なテーマを扱った作品をけっこう描いているんです。こうしたテーマには引用元(ソース)があることが多いのですが、セザンヌに関してはソースに関する指摘はありません。想像で描いたのでは? と言われています。セザンヌの内にどんな思いがあったのでしょうか?」

 先ほど千足先生が説明された画家の激情型の性格の一端をのぞき見したような思いがします。

 またサント=ヴィクトワール山を描いた作品では、ルノワールの作品と引き比べて、こんな話も飛び出しました。

「ルノワールの描いたサント=ヴィクトワール山は、彩り豊かで、明るい光が降り注いでいます。一方、セザンヌの作品はほとんど抽象画のようなタッチで描かれています。こうした表現がのちのピカソ、ブラック、ドランらに影響を与えることになりました。印象派はどちらかというと、場当たり的な描き方をしましたが、セザンヌはひとつのタッチから、次のタッチに移るのに20分はかかったと言われています。また、もしもモネだったら、おそらく一日の中で光が移り変わるサント=ヴィクトワール山を描いたでしょうね。セザンヌはセザンヌの道を行ったのです」

千足先生の巧みな話術とともに、熟考に熟考を重ね、ほかのどんな画家とも違う絵画を生みだした画家、セザンヌの姿が立ち現われました。

「セザンヌの絵はどこか壁のように、見る者を突き放す感があります。でも、その作品は教えの宝庫でもあります。一種の分かりにくさを解消するには実際の絵と向き合うのがいちばんだと思います」

 こんな言葉で締めくくってくださった千足先生。「100%セザンヌ」の今回の展覧会は、じっくりとセザンヌ作品と対峙できる貴重な機会になりそうです。

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