私たちがまだ知らないルノワール

東京・六本木の国立新美術館で開催中の「ルノワール展」。本展はルノワールの大作にして、“印象派のアイコン”ともいわれる《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》が初来日していることでも話題を集めています。今回は本展を担当された学芸員、横山由季子さんをお招きし、ルノワールの知られざる魅力を熱く語っていただきました。

 ルノワールは、「もう十分よく知っている」と思われる画家の筆頭にあげられる一人かもしれません。それにもかかわらず、日本での圧倒的なルノワール人気を物語るように、「まだ知らないルノワール」像を求めて、当日は多くの参加者の方にお集まりいただきました。本展は、「すべての時代のルノワールの作品が集結した未だかつてない展覧会といっても過言ではありません」というだけあり、期待が高まります。
 講座冒頭、スクリーンに映し出されたのは、青と黄色の絵具が置かれた、かなり拡大された作品の部分画像。
「さて、クイズです。これは今回の展覧会で出品されている有名な作品の一部ですが、お分かりになりますか?」
 今回の講座はこうした問いから始まりました。首をひねる参加者の皆さんの前で、横山さんは答えを発表。

 「これは印象派全盛期のルノワールが描いた《陽光のなかの裸婦(エチュード、トルソ、光の効果)》の、裸婦がつけている指輪の部分です」
 印刷物では目にすることの叶わない拡大された筆触を目の当たりにした参加者からは、驚きの声があがりました。この問いを皮切りに、印象派の特徴といわれる筆触分割の説明に移る頃には、参加者の皆さんはすっかり横山さんの話に引き込まれていました。
 中でも、もっとも印象深かったのは、ルノワールが自らの経験や、過去の巨匠たちの研究をもとに、常にさまざまなテクニックを追い求めた画家であったということです。印象派の画家というイメージの強いルノワールですが、印象派時代は実のところ「その78年の人生の中で、長く見積もっても15年くらい」と横山さん。「印象派のその先」を求めて邁進するルノワールの画業に併走するかのように、古典回帰の時代、円熟期、最晩年と続くルノワールの飽くなき “格闘”が熱っぽく語られます。
 とくに感動を覚えたのは、横山さんが語る晩年のルノワールの姿でした。妻アリーヌの死、リウマチという自らの病に直面しながらも、なおも新たなテクニックを追い求めるルノワールの姿勢は、“大成功した巨匠”というイメージを覆すものでした。リウマチの症状の悪化により、絵筆を握ることもままならなくなったルノワールは、包帯で絵筆を手にくくりつけて、カンヴァスに向かい続けたといいます。

 「そんな状況にあっても、ルノワールは辛そうというよりも、さらに自らの技術を発展させようという強い想いにあふれ、生き生きとしていたのです」と語る横山さんからは、画家に寄せる強い愛情が感じられます。
 「展覧会開幕前に、最晩年の作品《浴女たち》のコンディション・チェックをしていた際に驚いたことがありました。100年以上前の作品なのに、まるで今、描かれたばかりのように光沢のある瑞々しさを放っていたのです。ヒビひとつ入っていないんです!」と、熱く語る横山さん。それを実現させたのは、ルノワールが最後に到達した、シルヴァー・ホワイトの下地に、油で薄く溶いた絵具を重ねて描くテクニックだったといいます。ルノワールは、どうしたら自分の作品を100年後、200年後の時代にも、美しく残すことができるのかを考え、挑戦し続けたのです。名声を確立した後も、真摯にカンヴァスに向かい続け、幸福を塗りこめたような作品を後世に残してくれたルノワールに強く心を動かされた時間となりました。
 ルノワールの絵画的テクニックを経糸に、展覧会の章立てを緯糸にして、「私たちがまだ知らないルノワール」を見事に織り上げてくださった横山さん。「本展の図録は今まで見たルノワールの図録の中でも一番の出来栄え」という言葉も飛び出し、展覧会の充実ぶりに参加者の皆さんの期待もますますふくらんだようでした。

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