「パウル・クレーとは?なぜパウル・クレーが日本人に愛されるのか、その秘密に迫る」

宇都宮美術館で9月6日(日)まで「パウル・クレー だれにもないしょ。」展が開催中です。8月の特集記事では展覧会の見どころをお伝えしていますが、今回のMMMレクチャーでも宇都宮美術館主任学芸員である石川潤氏をお招きし、クレーにまつわる“ないしょの話”をお話しいただきました。

 パウル・クレーは、日本ではとても人気のある画家のひとりです。今回の展覧会はそのクレーの人気の秘密を解き明かすとあって、台風の接近が危ぶまれる天候の中、多くの参加者の方が駆けつけてくださいました。
 「展覧会のタイトルに『だれにもないしょ。』とあるように、本展はクレーの秘密をキーワードにして構成しました。今日は、展覧会場では詳しい説明パネルを添えられなかった作品の“ないしょのお話”もたくさん用意してきました」。
 登壇された石川氏のこの言葉に、会場の皆さんの表情が期待感に輝きます。石川氏の飾らない口調に導かれ、MMMレクチャーは始まりました。

 「クレーとは何者か? というお題を今日はいただいたので、僕なりに考えてみました」。
そう語る石川氏は、とても意味深な答えを用意してくださいました。
 クレーは、すり抜けの達人である――。
「クレーは、“何者か”に規定されることをとても嫌ったんです。ですから、美術の潮流や流派においても、影響は受けつつも、ある一定の距離を置く人でした。あなたはどっちなの? と問われても“どっちつかず”であることを徹底的に貫いたのです。クレーはこんな言葉を残しています」。

ぼくの正体はきかないでくれ。
何者でもなく、何の主義でもない。
自分が幸福だということのほか何も知らない。
(1901年 『詩集』より 高橋文子訳)

 石川氏のひと言ひと言が、参加者の皆さんをクレーの秘密の森の奥深くへ誘います。“すり抜けの達人”という不可思議なクレーの人物像が、石川氏が紹介してくださるクレーの言葉や作品解説によってどんどん実像を結んでくるのです。
 出品作品でもある《魔が憑く》(1939年 897)と双子のような作品といわれている未出品作《覚束ない天使》(1939年 930)が映し出されたスライドでは、「この《魔が憑く》をみなさん怖いと思いますか? なんだか僕は怖さに凄みがないように思います(笑)。一応これが悪魔という存在になっていくんですが……」と語り、一方で「《覚束ない天使》は「あやしげな天使」、「もじもじする天使」とも訳せる作品です。《魔が憑く》では悪魔、こっちでは天使を描いてはいますが、この2枚を見ていると、クレーは善悪ということも補いあう存在として描いたように思うんです」と解説。クレーの“どっちもあり”的な深い人間性が作品を通しても浮かび上がります。
 そして「こうしたクレーのあいまいさを好む人間性やその作品観が、日本人にフィットする感覚なのでは?」と石川氏はお話しくださいました。
 作品に秘められたクレーの記号の暗号的な意味や独特な制作方法を、惜しげもなく次々と暴いてみせてくれる石川氏の“名探偵ぶり”に参加者の皆さんはすっかり魅了された様子。これまでにたくさん出版されているクレー本には書いていない、石川氏独自の視点での解説に、深くうなずく姿があちこちで見られました。ますます秘密めいた魅力を増したクレーに会いに、すぐにでも宇都宮美術館へ行きたくなる、そんな一夜となりました。

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