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マントノン城マダムの連載の一部(10館)が本になりました。 バックナンバーを読む
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Chers amis,親愛なる日本の皆さまへ

本日は、皆さまをルイ14世(1638-1715)没後300年の今年、とりわけ訪れる価値のある場所へとご案内いたしましょう。シャルトル近郊、パリから80kmほどに位置する小さく美しい町マントノンの中心にある城──ルイ14世の寵愛を受けたマントノン夫人(1635-1719)の居城です。

宮廷で絶大な権力を手にしたマントノン夫人は、最終的には秘密裏に国王と結婚するという数奇な運命を辿った女性です。1674年、国王の財政的支援のもとに、手頃な大きさのこのマントノン城と領地を手に入れ、自らの好みに合わせて改装をしていきました。ルイ14世は、ヴェルサイユの庭で知られるかの有名な造園師ルノートル(1613-1700)に命じて、マントノン城にフランス式庭園を造らせました。近年ではルノートルの生誕400年を記念して庭園の修復が行われ、水道橋の遺構をいかした素晴らしい眺望がよみがえりました。マントノンは独自のロマンチックな魅力を取り戻したのです。

マントノン夫人は、強烈な個性の持ち主でした。そして、栄光への階段を上り詰めたその人生を彩る数多のエピソードには、誰しもがワクワクさせられることでしょう。彼女はフランソワーズ・ドービニエとして、ニオールの監獄で生まれました。父親が借金を理由に収監されていたのです。この時期、彼女はプロテスタント教徒の伯母、ヴィレット夫人(1584-1663)に預けられ、彼女のもとで幼少時代を過ごします。父親が釈放されると、一家はカリブ海のマルティニーク島へと渡ります。そして、彼の地に6年間留まったものの、父親の不運から家族は貧窮に陥り、フランス本国に戻ることを余儀なくされました。物乞いすらしなくてはならないフランソワーズの暗黒時代でした。しかしその後間もなく、彼女は熱心なカトリック教徒の伯母に引き取られ、まずニオールの、次いでパリの聖ウルスラ会の修道院で教育を受けることになりました。

この時期、伯母に付き従ってパリのさまざまなサロンに出入りし、詩人のスカロン(1610-1660)に出会います。そして、フランソワーズは17歳にして、彼女より25歳年上で身体に障害のあるスカロンと結婚。自らサロンを開き、数多の芸術家や社交界の面々と交流することになりました。その後、その中に、国王の公妾モンテスパン夫人(1640-1707)がいました。スカロンに先立たれて借金にまみれたフランソワーズが、王太后アンヌ・ドートリッシュ(1601-1666)に次いで、国王からも年金を与えられたことの背景には、モンテスパン夫人の存在があったのです。

Update : 2015.10.1

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