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バイユー・タピスリー美術館マダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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また、1944年、連合軍によるノルマンディ上陸作戦の際にバイユーが果たした役割も忘れることはできません。6月7日、連合軍に最初に解放された都市バイユーは、被災者の受け入れを行いました。6月14日、ド・ゴール将軍がフランス国土の上に共和国の権限を復活させたのもバイユーでのことでした。1946年、ド・ゴールは、この地に戻って有名な演説をし、それが現在も有効なフランスの1958年憲法の基礎となったのです。地上戦の舞台となったノルマンディにおいて、バイユーは無傷で戦災を免れた数少ない町のひとつです。そのため、豊かな建築文化財や、バイユーの素晴らしいタピスリーといった重要な歴史遺産が残されたのです。それはヘイスティングスの戦いのようなイングランド征服における最も重要な出来事を、征服王ギヨームを主人公としてノルマンディの視点から語ったもの。ギヨームは裏切りの犠牲者で、イングランドを侵略して王位に就く完全な正統性を持っているという歴史観に基づいています。

タピスリーの起源は残念ながら明らかではありませんが、幅約50cm長さ約70mの一枚の布に刺繍で彩色が施してあります。刺繍の土台になる布は生成り色の麻の帯状の平布でできています。ベージュや緑などおよそ10色の異なる色に植物で染められた羊毛糸を使い、針で刺繍の模様が施されており、その色の鮮やかさには、たいへん驚かされました。また、文字、物や人物の輪郭にはアウトラインステッチ、色で表面を覆うにはコーチング・ステッチと、刺繍のステッチも注目されています。何世紀もの間に、布は何度も継ぎを当てられましたが、刺繍自体はたった一度、19世紀に修復されただけです。

真ん中の最も大きな布には、イングランド征服に至るまでのさまざまな過程が描かれています。上下を縁取るふたつの布には、下は日常生活、農耕生活場面が多く、上は不思議な動物たちのいる想像世界が描かれています。さらに、始めから終わりまで、ラテン語による説明文が暗い色の糸で刺繍されています。壁に掛けるためにつけられた付属布の上には、18世紀に付け加えられた数字が書いてあり、それは場面の分割のための目印となっています。ノルマン人は髪が短くうなじが見えており、イングランド人は長髪で髭をたくわえた姿。男はほとんど戦士で、多くの場合、馬や槍、剣、盾などの武器といっしょに表されています。
描かれているのは、1064年から1066年の足掛け3年にわたる物語。子どものいないイングランドのエドワード懺悔王(1004-1066)が、ギヨームを後継者として指名し、義弟のウェセックス伯爵ハロルド(1022頃-1066)に、それを伝えにノルマンディに赴くよう命じます。最初の場面(場面1)から、ハロルドとエドワードが出てきますが、エドワードは王冠によってそれと分かります。それに続く場面(場面5-6)で語られるのは、ノルマンディへの旅の途上でハロルドの身に降りかかった波乱に富んだ事件です。ハロルドは、難破してピカルディーに上陸し、ギイ・ド・ポンティウ伯爵によって捕らえられてしまうのです。ギイ・ド・ポンティウ伯は斧を持った姿でそれと分かります(場面9-10)。この場面では、下の部分に注目してください。種まきと犂(すき)を引く雄ラバ、この時代に典型的な農耕シーンがいくつも描かれています。

ギヨームはハロルドを釈放させ、自分の宮殿に連れて行きます(場面14)。ブルターニュでギヨーム側について戦ったあと、ハロルドはギヨームの庇護を受ける騎士となり、聖遺物箱ふたつの上でギヨームに宣誓をしてから(場面23)、イングランドに帰還します。ところがエドワード王が亡くなると(場面26)、ハロルドは、誓いを裏切ってイングランド王になります。貴族たちが彼に王権の徽章を渡します。5人のイングランド人の一団が、この頃イングランドで見られたハレー彗星を不吉な星と驚いて指で示すのに注目してください(場面32)!

Update : 2016.12.1

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