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ジャコメッティ・インスティチュートマダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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1954年、有名な哲学者のJ.P.サルトル(1905-1980)がこの彫刻家に関する重要な論文を著しています。そして同年、サルトルにジャコメッティを紹介された作家のジャン・ジュネ(1910-1986)は、ジャコメッティについての最も優れた著作『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』を刊行。この本は、ジャコメッティ・インスティチュートの開館記念展のテーマともなりました。サルトルとジャコメッティと言えば、サルトルの日本語訳を手がけた哲学者の矢内原伊作(1918-1989)は、1956年から1961年にかけて、ジャコメッティ作品のモデルを務めました。

その後1956年、ジャコメッティは第28回ヴェネツィア・ビエンナーレにフランス代表として参加し、《ヴェネツィアの女たち》と題された一連の女性像を展示します。そして1961年カーネギー賞、1962年ヴェネツィア・ビエンナーレ彫刻グランプリ、1964年グッゲンハイム賞、1965年フランスより芸術国際グランプリを授与されるなど、非常に高い評価を受けながら、1966年に癌により64歳でこの世を去りました。

それでは、ロイヤルブルーに塗られたアール・デコ様式の扉をくぐってみることにいたしましょう。建物内部には光に満ちた白い世界が広がっていて、いくつか階段を下りたところに、透明なガラスに守られた神話的なアトリエが見えます。このアトリエは、ロベール・ドアノーやサビーヌ・ヴァイスといった偉大な写真家たちの被写体となりましたが、彼らの残した写真があったからこそ、ジャコメッティ在りし日のままに復元することができたのです。

ジャコメッティが亡くなると、妻は彼がデッサンを残した灰色の壁を取り外します。そして、ジャコメッティが未完成バージョンとして取り組んでいた石膏作品を保存しました。人間の動きを捉えた代表作《歩く男》(1947年)の石膏像はそのひとつ。さらに、ジャコメッティの最後のモデルとなった写真家エリー・ロタールの姿を表した《座る男の胸像、(LotarIII)》(1965-1966年)の習作もあるのです。ロタールは晩年ホームレスとなりましたが、ジャコメッティが捉えたその姿の品位あることといったら。
ここは、ジャコメッティの感情が詰まった空間です。ベッドやテーブル、椅子といったジャコメッティが実際に使っていた家具のほか、眼鏡やパレット、細い筆、レインコートといった愛用の品々が置かれ(灰皿にはタバコの吸い殻まで!)、まるでジャコメッティがアトリエを散らかったままにして、たった今出て行ったかのように見えるのです。鮮やかな色彩はなく、すべてが灰色です。ジャコメッティは寒さと埃が支配するこの空間で、長時間モデルたちにポーズさせたと言いますが、ここでは、ジャコメッティとモデルたちとの距離の近さすら、実感することができるのです。

両側にふたつの展示ケース(《座る女》と《籠のなかの小像》が展示されています)のある非常に狭い廊下を通っていくと、小さな部屋に出ます。ここはデッサンや版画、リトグラフといったグラフィック作品を順次展示するためのスペースです。ジャコメッティは同じ主題を繰り返し描きました。自分の作品を広めることにも熱心で、木版画、銅版画(エングレーヴィング、エッチング、アクアティント)、リトグラフと、さまざまな技法の版画も制作しています。
2階では、現代的なガラス天井の広いアトリエに《ヴェネツィアの女たち》(1956年)が展示されています。等身大よりもほんの少し小さく、輪郭と表面がごつごつした非常に細いシルエットが、天井からの光によって引き立てられています。1956年頃にP.G.ブリュギエールがアトリエを撮影した巨大な写真を背景に、《ヴェネツィアの女たち》は、神々しいばかりの存在感を放っています。

Update : 2018.10.1

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