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パリに夏がやって来ました。暑さの厳しいこの大都会で、人々が涼と安らぎを求めて訪れるのが、4ヘクタールもの広大な庭園とミュゼからなるアルベール・カーン美術館です。しかし、ここは単なる憩いの場ではありません。訪れる人々に魔法をかけてしまうかのような場所なのです。自らの感性と熱い想いを注いでこのミュゼを築いたのは、アルベール・カーン(1860-1940)。生涯にわたって人類の平和のために活動した人物です。

パリ西郊のブーローニュ・ビヤンクールにあるこのミュゼへは、メトロを利用するのが便利です。庭園はどの季節もそれぞれに美しいものの、力強い自然の息吹を感じられる春と夏は格別といえましょう。

▲日本庭園。
©A. de Montalembert
       
▲太鼓橋のある日本庭園。
©Musée Albert-Kahn - département des Hauts-de-Seine.
平和な世界を表したというこの庭園をご理解いただくためにも、まずはアルベール・カーンの生涯を辿ってみましょう。それは、戦渦に翻弄されつつ始まった人生でした。
カーンが生を受けたのはアルザス系ユダヤ出身の家でした。1870年の敗戦でアルザス(当時フランス領)がドイツに併合されると、一家はフランスに留まること、つまりアルザスの地を離れるという道を選びました。
カーンは16歳になるとパリに居を構え、銀行員として働きながら、勉学を再開しました。そして1889年から1893年にかけて、南アフリカの金鉱とダイヤモンド鉱への投機で莫大な財産を築いたカーンは、1898年、自らの銀行を設立。多くの国際公債に関わるようになります。とりわけヨーロッパ市場向けの日本国債の発行に着手します。
彼は日本の経済発展を信じた一人だったのです。日本の皇室や特定の有力な家柄と特別な交流を結ぶようになったのも、この頃からのことでした。
     
1893年、カーンはブーローニュに家を借りました。ほど近くには、カーン美術館の庭園のモデルとなる庭のあるロスチャイルド家(著名な銀行家)がありました。2年後にこの家と周囲の庭園を手に入れたカーンは、ここから地球全体を表した庭をモザイクのように造ってゆくことになります。
また、学生たちに旅を通じて他文明を発見してほしいという想いから、カーンは1898年「世界一周」という名でいち早く国際奨学金制度を作りました。そして、1910年から1913年には、さらなる異文化交流を促すために「地球史資料館」を設立し、全世界およそ50ヵ国に“リポーター”を派遣して、各国の写真や映像を収集しました。
しかし、1929年の大恐慌によってカーンの運命は一転し、全財産の差し押さえという不幸に見舞われてしまいます。結局、彼のブーローニュの地所や、映像と写真のコレクションなどは、1936年から1939年にかけてセーヌ県が購入することになりますが、それは、私たちにとってはこの上ない幸運だったといえましょう。
カーンは1940年に亡くなるまでの日々を自邸で過ごしました。その屋敷は保存状態が良くないので、今は訪れることができませんが、近々修復されるそうですから楽しみにしてなさっていてくださいね。
▲カーン美術館所蔵の古写真。
《井戸端での読書》アルジェ、アルジェリア 1909年
©Musée Albert-Kahn-Département des Hauts-de-Seine.
         
▲熱帯温室のあるフランス式庭園。
©A.de Montalembert
この庭園はとても有名ですが、実際に園内を歩いてみると、ここが植物園でもなく、さまざまな種類の庭を単に並べただけのものでもない特別な場所であることに気づかされます。そこに具現化されているのは、ひとりの人間の感性と強い想い──互いの文化をよく理解すれば人々は歩み寄ることができるという理想なのです。

異なるタイプの庭が互いに開かれたかたちで配されたこの庭園では、そこに植えられた植物とその景観で五大陸が表されています。
まずは中心にあるフランス式庭園を見てみましょう。整然としたフランス式庭園の特徴をよく表す造りになっていて、中央には熱帯温室があります。ドーム型の美しい建物で、中では異国の植物が花を咲かせています。また、夏ともなれば果樹の幹や枝々を這うバラが見事な花を咲かせます。あらゆる種類のバラが、その繊細な色調を見せて咲き誇るこのバラ園を訪れれば、きっと本当に魔法にかけられたかのように感じられるでしょう。
         
フランス式庭園の整然とした佇まいと反対なのはイギリス式庭園。自然をありのままの姿に模すために、手を入れているようには見せないのがイギリス流です。小さな川が作り岩のある池に注ぎ、そこには日本の鯉が泳ぐ──柔らかな芝、可愛らしい小さなコテージ──。英国の人々は散策を習慣とし、自然との語らいを楽しんでいるといいますが、この庭を訪れると、あたかも自分がかの地にいるかのような気分になるから不思議ですね。
▲フランス式庭園内のバラ園。
©A.de Montalembert
         
▲イギリス式庭園内のコテージ。
©Musée Albert-Kahn - département des Hauts-de-Seine.
▲ヴォージュの森。
©Musée Albert-Kahn - département des Hauts-de-Seine.
園内の散策を続けるに従って、わたくしはますます日常から離れていきました。エピセアやブナ、花崗岩から生えた松、樫……これはきっと、アルベール・カーンが幼い頃に見た風景なのでしょうね。「ヴォージュ地方の森」に足を踏み入れたわたくしは、木々が生い茂る自然のなかで、迷い子になったかのような錯覚に陥りました。まるで、パリから遠く離れたヴォージュを訪れたかのように。

このミュゼを秋に訪れるなら、「黄金の森」を決して見逃さないでくださいね。枝垂れ白樺の木々が色づき、その名のとおり森全体が黄色く、輝く金色に染まるのです。そして、森と森とのあいだに広がる草地は、手つかずの自然のままの姿で残されています。

「青い森」にはアメリカと北アフリカの双方が表現されていて、アトラス山脈の杉やコロラドのエセピアが植えられています。また、睡蓮や葦、菖蒲といった水生植物が、有名な印象派の絵画を彷彿とさせる泉もふたつあります。

そしてこの散策の最後に、ふたつの素晴らしい日本庭園に辿り着きました。

アルベール・カーンが日本と特別な関係にあったことはすでにお話しましたね。日本の哲学や暮らしを敬愛してやまなかった彼は、2度にわたる訪日の後、伝統的な日本庭園を造ることにしたのです。「ル・ヴィラージュ(村)」と名づけられたその庭には、茶室(月に一度、裏千家による茶会が開かれていました)と、天皇から賜った伝統的な日本家屋が2棟設けられました。現在は修復のため、日本家屋に入ることはできませんでした。
         
この伝統的な日本庭園の隣には、現代的な日本庭園があります。現代造園家の高野文彰氏がアルベール・カーンへのオマージュとして作庭したもので、3つのテーマ(生、死、男女の軸)をめぐって、カーンの人生に想いを馳せるというつくりになっています。さらに、富士山や川、水田によって日本らしさが表現されています。

このふたつの日本庭園の手入れはじつに見事ですが、それもそのはず。フランス人の庭師長は日本を訪れ、日本庭園特有の技術を習得してきたのです。ここは、日本国内を除いた地では、日本庭園の伝統にもっとも忠実な庭とされていますが、その真偽のほどは皆さま自身の目でじっくりと判断なさってみてください。

▲伝統的な日本庭園。
©Musée Albert-Kahn - département des Hauts-de-Seine.
今回、わたくしは庭というかたちで世界各地を散策しましたが、異なる大陸をひとつの調和が包んでいることに深い感銘を受けました。ひとつの庭から他の庭へ歩を進めるあいだには何の対立もなく、それはまるで、それぞれの文化が互いに対話をしているかのようでした。
     
▲現代的な日本庭園。
©Musée Albert-Kahn - département des Hauts-de-Seine.
庭造りと並行して、アルベール・カーンは「地球史資料館」を設立しました。異なる民族や文化圏に属する人々の相互理解を目的に、世界中から集められた資料は現在、カーン美術館のコレクションの一部となっています。
オートクロームプレート(初のカラー写真手法)72000枚:世界で最も重要なオートクロームコレクションで、カーンが残したままの状態で、木箱に保存されています。
白黒フィルム:館内のビデオで観ることができます。わたくしは《大正天皇の葬儀(1927)》と京都と日光についてのフィルム(1926)を観ました。

20世紀前半におけるさまざまな国の歴史やしきたり、習慣を発見するには、これらのコレクションをご覧になるといいでしょう。このミュゼの役割は、展覧会を通して、フランス内外にこれらのコレクションの存在を知ってもらうことにあります。パリのリュクサンブール公園では、園を囲む柵を利用した写真展がしばしば開催されて人々の目を楽しませていますが、2009年には、カーン美術館の写真が紹介される予定です。
また、来館者や研究者、写真の専門家などが利用できるように、すべてのコレクションを閲覧するマルチメディア・システムも整えられるそうです。
     
2008年3月16日まで、「マグレブ(アルジェリア、チュニジア、モロッコ)の色彩(1910-1931)」という展覧会が開かれています。日常生活の一こまを写したものから、風景や街角、オアシス、遺跡などの写真を通して、伝統的なマグレブの姿を発見できる展覧会です。こうした写真草創期のカラー写真を見ていると、色と明かりがいかに重要かということを改めて発見させられます(ラグアットの灌漑[かんがい]用水路の写真をご覧ください)。

こうして、写真を観ておりましたところ、ほんとうに驚かされることがありました。わたくしは、アルジェリアがフランス領だった時代のアルジェで幼少期を過ごしたのですが、なんと、幼い頃にわたくしが住んでいた家が写っているではありませんか!
▲《ラグアットの灌漑用水路》アルジェリア 1929年
Photographe Frédéric Gadmer. Inv A 61 327.
© Musée Albert-Kahn-Département des Hauts-de-Seine.
  ▲《チュニスの野菜売り》チュニジア 1909年
Photographe Jules-Gervais Courtellemont. Inv. A 30.
© Musée Albert-Kahn-Département des Hauts-de-Seine.
もちろん、わたくしが暮らしたのはこの写真が撮影されてから何年も後のことですが、そこに写し出されているのは、まさしく、わたくしが住んだ家だったのです。そこはアルジェ総督の夏の宮殿でした。
この展覧会のおもしろさは、マグレブ諸国におけるフランスの役割と存在を、論争を起こすことなく見せたところにあるといえましょう。これは、アルベール・カーンが自らの活動を通じて実践したことと同じなのです。

アルベール・カーンの活動はすべて、人類は互いに寛容で、異なる文化を敬い、そして世界に対して自らを開くべきであるという、とても大切なメッセージを投げかけています。多様な文化の普遍化に具体的に取り組み、世界的に知られた歴史上の人物となったアルベール・カーンは、わたくしたち現代人の手本ともなりえるでしょう。
アルベール・カーンという偉大なる平和主義者は、この美術館がその業績をできるだけ多くの人に見せてゆくことで、これからも生き続けてゆくでしょう。

友情をこめて。

     

▲整然としたフランス式庭園。
© A.de Montalembert
▲作り岩のある池、イギリス式庭園。
©A. de Montalembert
▲庭園内にある森。
©A. de Montalembert

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Musee Info
所在地
 
14 rue du Port
92100 BOULOGNE-BILLANCOURT
Tel
 
33 (0) 1-55-19-28-00
Fax
 
33 (0) 1-46-06-86-59
休館日
 
月曜日
URL
 
www.hauts-de-seine.net
アクセス
 
メトロ: ブーローニュ=ポン・ド・サン=クルー駅(Boulogne-Pont de Saint-Cloud)駅 (10号線-終点)下車。
バス: 52, 160, 126, 72, 175<ラン・エ・ダニューブ(rhin et Danube)停留所下車。
路線電車: T2号線<パルク・ド・サン=クルー(Parc de Saint-Cloud)停留所下車
開館時間
 
冬期 (10月1日から4月30日)
11:00〜18:00(受付は17:30まで)
夏期 (5月1日から9月30日)
11:00〜19:00(受付は18:30まで)
入館料
 
一般:1.5ユーロ
12歳以下:無料
年間パス:15ユーロ
学校団体:1名につき0.75ユーロ
毎月第一日曜日は無料
展覧会期間
 
マグレブ(アルジェリア、モロッコ、チュニジア)の色彩(1910−1931)
Couleurs du Maghreb 1910-1931 (Algérie, Maroc, Tunisie)
会期:2008年3月16日まで
アルベール・カーン美術館関連書籍
MMMライブラリでは、アルベール・カーン美術館の庭園に関する書籍をご覧いただけます。
 
  マダム・ド・モンタランベールについて

本名、アンヌ・ド・モンタランベール。
美術愛好家であり偉大な収集家の娘として、芸術に日常から触れ親しみ、豊かな感性が育まれる幼少時代を過ごす。ブルノ・デ・モンタランベール伯爵と結婚後、伯爵夫人となってからも、芸術を愛する家庭での伝統を受け継ぎ、ご主人と共に経験する海外滞在での見聞も加わり、常に芸術の世界とアート市場へ関心を寄せています。アンスティトゥート・エテュディ・デ・スペリア・デザール(IESA)卒業。
 
 
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