ナポレオンの戴冠式
 ナポレオンの戴冠200周年の今年、フランスではナポレオン熱が再燃しているようだ。パリでは、ルーヴル美術館、アンヴァリッドの軍事博物館、そしてジャックマール・アンドレ美術館でナポレオンに関する展覧会を開催している。もともとフランスでは、歴史上の人物のなかでナポレオンの人気は別格だった。もちろんヨーロッパ各地を「侵略」した人物だから、フランス人としてはあからさまにナポレオン自慢もできないだろうが、ヴェルサイユを築いた太陽王ルイ14世と並んでフランス史でこれ程有名な人物はほかにいない。史上初めて、ヨーロッパの大部分を統合する大事業を成し遂げ、そしてそれによって近代的な諸制度をヨーロッパの隅々まで一気に浸透させたという功績もある。「英雄」ナポレオンへの関心は尽きない。
 そのナポレオンの魅力をさぐるべく、ルーヴルとアンヴァリッドの展覧会に行ってみた。
ナポレオンの「戴冠式」
 まずは「戴冠式」とは何だったのか確認したい。コルシカ島生まれの軍人、ナポレオンが革命期に手柄を立て、やがてクーデタを起こして実権を握り1802年総統となって政権を確立したというのはご存じのとおり。そして自分が皇帝の地位に着いたことを顕示するため、「聖別」と「戴冠」の式典儀式を企画する。数ヶ月という短い準備期間で、式典の総監督ルイ=フィリップ・セギュールは事細かに段取りを決めた。画家のイザベが贅の限りを尽くした衣装をデザインし、会場装飾は建築家のペルシエとフォンテーヌが担当。こうして、1804年12月2日、ノートル・ダム大聖堂にて豪華絢爛な式典儀式が開幕した。
 招待客は総勢2万人、所要時間はなんと5時間!儀式はまずローマ教皇がナポレオンに聖油を掛ける聖別式に始まる。そしてナポレオンは教皇に背を向けて(ここが重要)自ら月桂樹の冠を載き、次にジョゼフィーヌに冠を被せるという段取り。その後国民の前で宣誓し、皇帝ナポレオンの誕生を強く印象づけて大聖堂での儀式は終了する。


「ダヴィッドによるナポレオン戴冠式 」展 ルーヴル美術館
「ナポレオンの戴冠」と言えば、ルーヴル美術館所蔵のダヴィッドの作品を思い浮かべる方も多いだろう。ナポレオンの戴冠といわれる割には、戴冠されているのはジョゼフィーヌの方では?と疑問に思った方もいらっしゃるだろう。展覧会は、デッサンや関連資料を展示し、この作品の秘密を解き明かす。
 実は、ダヴィッドは始め、ナポレオンが自分に冠を被せる場面を描こうと考えていた。ところが、最終段階で現在のような形へと変更された。注意深く見ると、ナポレオンの頭の部分に確かに修正の跡が見て取れる。結果的にジョゼフィーヌに注目が集まり、当時は物議を醸したようだ。ナポレオン自身はこの変更に関して「好きなようにさせておいた」と言いつつも、本当は「離婚を避けるためのジョゼフィーヌの陰謀」と考えていたようだ。実際、ジョゼフィーヌの不安は的中、1809年ナポレオンは彼女と離婚し、オーストリアハプスブルク家の若い皇女(当時わずか19才!)マリー=ルイーズと再婚する。
 1805年にナポレオンの注文を受け、3年の年月を掛けて完成されたこの作品は、1808年のサロン(官展)で注目の的となるが、ジョゼフィーヌとの離婚後は当然お蔵入り。一般の人々の目に触れたのは、わずか6ヶ月あまりだったという。
 展覧会は、《戴冠》の展示室内に4つのブースを付設して行われており、展示スペースの狭さに日曜ということも手伝って会場は大混雑。そんな中で、皆熱心に資料に見入っていた。資料を前にして、見解の違いに口論になり係員が慌てて飛んでくるという場面も!ナポレオンに関しては一家言あるというフランス人も多いのかもしれない。


「ナポレオン皇帝 戴冠式のイメージ」展
軍事博物館(アンヴァリッド内)
 ナポレオンはこの式典儀式を後世に伝えるため、特別記念出版物として「戴冠式集」と呼ばれる銅版画集を制作させた。現代なら「写真集」を出すところだろうが、写真誕生以前のこと、精密な表現が可能な銅版画がその代わりを果たした。展覧会は、この銅版画を中心に、同博物館所蔵の関連資料(「戴冠式」の際に着用された制服や、「戴冠式」のリハーサルに使われた人形など)を展示する。
 「戴冠式集」の版画は大きく分けて2種類。式典の始まりから終わりまでの各場面を詳細に描き出したもの7点と、式典の参列者をその衣装姿で描写したもの31点だ。ノートル・ダム大聖堂装飾の細部や、衣装の刺繍やレース、絹やビロードの質感まで忠実に再現されている。丁寧に彩色され、金がふんだんに使われており、華やかな戴冠式の様子を余すところなく伝えている。
 ナポレオンの栄華を現代に伝えるこの版画集、実は非常に数奇な運命を辿っている。ナポレオンが版画集の制作を命じたのは1805年5月、翌年末には出版される予定だった。ところが、銅版画原版が完成し、カルコグラフィー室に届けられるのはなんと1814年3月。ナポレオンの失脚直前のことだったであった。ナポレオンは同年4月に退位し、当然このプロジェクトは中止となる。百日天下(1815年2月〜6月)の折、カルコグラフィー室に250部刷る注文が出されるも、その完成を目にするかしないかのうちにナポレオンは再び失脚。同年11月、刷り師が仕事を終え、刷り上がった版画と原版をカルコグラフィー室に返却したとき、ナポレオンは既に南大西洋の孤島サント=ヘレナ島に送られていた。自らの人生で最も華やかな瞬間であった「戴冠式」をナポレオンはどのような気持ちで思い返したのだろうか。
 「戴冠式集」はその後、ナポレオン支持者の間に密かに流通し、一部は王政復古期の高官に贈られたりもしたようだ。権力者の栄枯盛衰を体現するような美しくも哀しい版画集なのである。この紆余曲折の運命を辿った版画集が、ナポレオン戴冠200年を記念して現代に甦った。ルーヴル美術館のカルコグラフィー室に保管されているオリジナルの版画原版から、再び版画を刷るというプロジェクトが実現。今回の展覧会に展示されているのは、この刷りたての作品だ。
 展覧会に来ていた人々は、版画に顔を寄せて細かい描写に見入っていた。平日の夕方とあって退職後と思しき方が多かったが、『赤と黒』のジュリアンよろしくキリッと頬を紅潮させた少年のグループも。やはり、ナポレオンは今も変わらぬ「英雄」なのだろうか。
阿部明日香(文・写真)
筆者プロフィール:
東京大学およびパリ第一(パンテオン・ソルボンヌ)大学博士課程。
専門はフランス近代美術、特にその「受容」について研究中。

ルイ・ダヴィッド<ナポレオン1世の戴冠式>ルーヴル美術館蔵
©photo RMN/digital file by DNPAC


 

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