マダム・ド・モンタランベールのミュゼ訪問(4) マルモッタン美術館
MMFのwebサイトをご覧になっているみなさまに、パリから素敵な便りが届きました。差出人は、美術を心から愛するマダム・ド・モンタランベール。日々、美しいもの、真なるもの求める彼女は、四季折々に輝くミュゼの上質な愉しみ方を教えてくれます。フランスへ旅立つとき、このコーナーにお誘いが届いていたら、マダムの隠れ家のようなミュゼに足を伸ばしてみませんか。
今日は、皆さまを印象派のコレクションで名高いマルモッタン美術館へとご案内いたしましょう。印象派についてはもうよくご存知かとも思いますので、今回は、このミュゼのこと、そして、ロダン(1840-1917)の弟子であった彫刻家、カミーユ・クローデル(1864-1943)に敬意を込めて、現在このミュゼで開催中の彼女の回顧展についてご紹介することにいたしました。

マルモッタン美術館が佇むのはパリ16区の閑静な住宅街、ラヌラグ公園とブーローニュの森の間に位置する素晴らしい地区。フランス北部の裕福な実業家、ジュール・マルモッタンが1882年に買い求め、狩りを楽しむ折りの別荘として用いていた館を、子息のポール(1856-1932)が邸宅へと改装し、自らが集めた美術品のコレクションを収めました。ポールが亡くなったのち、コレクションとともに邸宅を譲り受けたフランス美術アカデミーが美術館として公開し、現在に至るまでその管理を担っています。その後コレクションは豊かさを増し、今日ではそれぞれに特徴づけられた4つの部門から成り立っています。
  1. ポール・マルモッタンによる執政政府時代および帝政時代の美術コレクション
コレクションのほとんどは、ナポレオン1世とその家族のために作られた調度品や美術品、絵画など。庭園をのぞむ小さな円形のサロンにお入りになったら、しばらく足を止めて、ため息をつくほど美しいナポレオンの「地理時計」をご覧になってみてください。皇帝の命により作られたこの時計には、細密画が描かれた12枚の磁器製のメダイヨンがはめ込まれています。このメダイヨンには、もともとは歴史画が描かれることになっていたようですが、帝政が崩れ落ちたことによって世界各地の風景画にとって変えられました。
 
  2. ジョルジュ・ウィルデンスタインの彩色写本コレクション
ジョルジュ・ウィルデンスタイン(1892-1963)による、中世からルネッサンス期にフランスとイタリアで制作された200点もの見事な彩色写本のコレクションです。保存状態がとても素晴らしく、その輝やくばかりの色彩には、ただ目を見張るばかりです。
 
 
3. 印象派コレクション
このミュゼには、クロード・モネ(1840-1926)の絵画世界の中でも、最も重要なコレクションが秘蔵されています。印象派という言葉を生んだ、かの有名な「印象−日の出」(1873年)もこの美術館のコレクションなのです。展示されている作品の多くは、ウール県・ジヴェルニーにあるこの画家の庭からインスピレーションを得て制作されたもの。あの「睡蓮」(1898-1926)の連作も、ジヴェルニーの「花の庭」と「水の庭」を描いたものです。また、1895年から1924年にかけて幾点も描かれた「太鼓橋」をご覧になると、モネの絵画技法が移り変わっていく様がよくおわかりいただけることでしょう。年を追うごとに、この橋は現実のものとはかけ離れたものになってゆくのです。空間という概念が薄れ、色は深みを増し、よりいっそうコントラストが強く、激しさをもった表現になっていきます。この画家の際立った特殊さから、モネを抽象的表現主義の真の先駆者とみなす人々もいました。
 
  4. ドニ&アニー・ルアール財団コレクション
またこのミュゼには、ドニ・ルアールの祖母にあたるベルト・モリゾ(1841-1895)の絵画80枚も収蔵されています。

 
 
現在この美術館で開かれているカミーユ・クローデルの回顧展を訪れてみると、彼女がいかに優れた芸術家であったかということに気づかされます。彼女は長年にわたり、世間から疎まれ、正当な評価を受けてきませんでした。研究が進み、彼女の名誉が回復されたのは近年になってからのこと。また、フランスでも大変話題になったイザベル・アジャーニとジェラール・ドパルデュー主演の映画『カミーユ・クローデル』(1988)も彼女に対する理解に大いに貢献をしたといえましょう。カミーユの運命は伝説となり、今では彼女の作品とその人生は切り離すことのできないものとなっています。 カミーユは、1921年から1927年まで駐日フランス大使を務めた外交官で、天才詩人のポール・クローデル(1868-1953)の姉であり、天性の彫刻家、オーギュスト・ロダン(1840-1917)の愛人でもありました。生前、彼女の才能は正当な評価を受けることはありませんでした。ロダンのアトリエに出入りをするただ一人の女性──。ただそれだけでも、当時の社会ではじゅうぶんスキャンダラスなこと。それゆえに、彼女が生きていくことはたやすいことではなくなっていきました。弟子、モデル、愛人、さらには師にインスピレーションを与えるミューズ──。すべての役を同時に引き受けていたカミーユは、自らの芸術とロダンの芸術とを切り離して考えることができなくなってしまったのです。やがて、猜疑心の強い彼女の性格が、少しずつ少しずつ、ロダンを彼女から遠ざけていくことになりました。1899年に二人の関係が破局すると、彼女は心に深い傷を負い、やがて狂気の淵へと追いやられていきます。カミーユはこの裏切りからふたたび立ち直ることはなく、残された30年を精神病院で過ごし、その生涯を終えました。病院から、彼女は痛ましい手紙を何通も書いています。わたくしは、彼女がこれほどまで繊細な心の持ち主でなければ、と思わずにはいられません。カミーユが味わった痛み──。それは、彼女の作品によく表れています。たとえば「分別盛り」(1898年)。この作品には、ロダンとの破局を招いた深い苦しみが、この上ないほどに表されています。ひざまずき、懇願しながら屈辱を感じている若い女性はカミーユ自身で、自分を捨てないでとロダンに哀願しているのです。二人が破局する前に作られた、心痛む作品がもう一点あります。この「城に住む少女」(1893年)には、ブロンズや緑青石膏、大理石で作られたものがあるのですが、お腹の子を失ってしまったカミーユの心にもう一度希望を灯してくれたのが、ふっくらとした顔つきに、きゃしゃな目鼻立ちをしたこの少女でした。今回の展覧会は、カミーユ・クローデルの才能を世の中にふたたび気づかせることに、見事に貢献しているといえましょう。

さて、美術館をあとにされたら、ラヌラグ公園の美しい庭園を通り過ぎて5分ばかり歩かれたところにある、「ラ・ガール(La Gare)」という名のレストランを楽しみになさっていてください。以前のラ・ミュエット駅の駅舎を改装したこのレストランは、広いテラスに面した、とても居心地のよい空間なのですが、もしお時間が許されるなら、ぜひ外にお出になって、緑のなかでランチを召しあがってみられるのもおすすめですよ。

友情を込めて

マルモッタン美術館
住所 2, rue Louis-Boilly 75016
Tel   01 44 96 50 33
URL   http://www.marmottan.com/
メトロ   ラ・ミュエット(La Muette)
開館時間   10時〜18時(月曜休館)
入館料   7ユーロ
インフォメーション・センターでは、マルモッタン美術館のアルバムガイド2種(フランス語、英語)他、同館開催の「カミーユ・クローデル」展図録も閲覧いただけます。  
開催中の展覧会
カミーユ・クローデル展  2006年1月31日まで
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「19世紀フランス美術の光と影第3回:クロード・モネ」
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マダム・ド・モンタランベールについて
本名、アンヌ・ド・モンタランベール。
美術愛好家であり偉大な収集家の娘として、芸術に日常から触れ親しみ、豊かな感性が育まれる幼少時代を過ごす。ブルノ・デ・モンタランベール伯爵と結婚後、伯爵夫人となってからも、芸術を愛する家庭での伝統を受け継ぎ、ご主人と共に経験する海外滞在での見聞も加わり、常に芸術の世界とアート市場へ関心を寄せています。アンスティトゥート・エテュディ・デ・スペリア・デザール(IESA)卒業。
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