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カルナヴァレ美術館―パリの歴史美術館 第一弾:先史時代から革命まで
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Chers amis,親愛なる日本の皆さまへ

本日は、皆さまをこのほど再オープンしたばかりの、パリの歴史美術館、カルナヴァレ美術館へとご案内いたしましょう。4年におよぶ全面改装によって、カルナヴァレはフランスでもっとも大きな美術館のひとつとして生まれ変わりました。マレ地区にあるこのミュゼは、貴重なルネサンス建築のカルナヴァレ館、そして18世紀のル・ペルティエ・ド・サン=ファルゴー館というふたつの邸宅を中心に構成されています。コレクションの数は62万5,000点。そのうち3,800点が展示されており、先史時代から現代までのパリの歴史を辿ることができるのです。とりわけ、ナポレオン3世(1808-1873)の時代、セーヌ県知事オスマン男爵(1809-1891)によるパリ大改造工事で、その多くが取り壊されてしまった時代の邸宅の内装を見せる、およそ30室からなる「時代の部屋」が見所となっています。

この美術館には、古い看板や貴重な家具調度類、装飾美術品、フランス革命に関する作品や資料などの素晴らしいコレクションもあります。地下と2階には新しい展示室が作られ、それぞれ先史時代から16世紀までのコレクションと、19世紀のコレクションが展示されています。コレクションの規模と多様性を踏まえ、カルナヴァレ美術館を2回に分けてご紹介したいと思います。今回は、先史時代から革命までのコレクション、次回は主にル・ペルティエ・ド・サン=ファルゴー館に収蔵されている革命から現代までのコレクションについてお話しさせていただきます。

カルナヴァレの名は、1572年にこの邸宅を購入したケルヌヴノワ夫人の名に由来します。中庭と庭の間に建てられたこの邸宅は、中央の本館、地下1階、1階、そして屋根裏部屋からなる典型的な「フランス式」の邸宅です。1658年から1661年にかけて、建築家フランソワ・マンサール(1598-1666)が通りに面したファサードと両翼を嵩上げし、1677年にはセヴィニエ侯爵夫人(1626-1696)が移り住み、20年ほど暮らしています。セヴィニエ夫人は、娘に宛てた膨大な書簡に、ルイ14世時代の政治、社交界、文学について綴ったことで知られる著名な作家です。

その後、1845年に歴史的建造物に指定され、1866年にオスマン男爵の要請でパリ市が買い取り、ミュゼとして使用されることになりました。1880年から1920年にかけて数回の増築が行われ、ナザレ門(16世紀)や、ラシャ販売商事務所の壮麗なファサード(17世紀)など古い建物の一部が組み込まれました。パリ市の紋章が入った壮麗な鉄柵(1889年)のあるナザレ門はフラン・ブルジョワ通りに面しており、ラシャ販売商事務所のファサードは、フランス式庭園に臨みます。中庭で来訪者を出迎えるのは、大きなルイ14世の像。この像は1689年にアントワーヌ・コワズヴォ(1640-1720)によって旧パリ市庁舎の中庭のために制作され、1890年にこの場所で再び組み立てられたものです。その後ろに見えるファサードには、ジャン・グジョン(1510-1567頃)の作とされる黄道十二宮の上に季節を表す4つの彫刻が施されていて印象的です。20世紀初頭の新たな増築により、美術館は4つの中庭に分かれた四角形にするプランにより発展し、館内のルートはとても複雑。見学の際にはガイドマップが必須となりますので、お忘れになりませんように。

Update : 2022.3.1

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