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カルナヴァレ美術館―パリの歴史美術館 第一弾:先史時代から革命まで
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中世のセクションは、蛮族の侵略に抵抗するようパリ市民を励ましたパリの守護聖人、《羊を守る聖ジュヌヴィエーヴ》(1530年頃)で幕を開けます。この時代、パリは人口が増加し、宗教上の都となりました。サンジェルマン・デ・プレ修道院やコルドリエ教会など、数多くの宗教建築が建てられました。ここではフランス王女ブランシュが国王サン・ルイに祈りを捧げる姿が彫られた三つ葉型アーチのタンパンを見ることができます。また、パリはソルボンヌ大学をはじめとする数多の大学やコレージュを擁する知の都でもありました。展示室では、5区にあったドーマン・ボーヴェ大学の礼拝堂のステンドグラス一式(1370年)をご覧いただけます。イエスの使徒らを描いたこれらのステンドグラスは、ボードワン・ド・ソワソンと、有名なタピスリー《アンジェの黙示録》の作者である画家のジャン・ド・ブルージュのものとされています。

イントロダクションの展示室を横切って階段を上り、2階の展示室へと参りましょう。何世紀にもわたる改革により、パリ市と国王の間では権力の分立が確立されましたが、例えば、フランソワ・クルーエの工房で制作された喪服姿の美しくも厳かな肖像《カトリーヌ・ド・メディシスの肖像》(1595年頃)など、歴代フランス王の治世を物語る作品も展示されています。アンリ2世の妻として、また3人のフランス国王の母として、カトリーヌ・ド・メディシスは非常に重要な政治的役割を担った女性です。16世紀から17世紀にかけて、国王はパリの改造に大きな影響を与えました。まずアンリ4世がドフィーヌ広場を整備。マレ地区の壮大なロワイヤル広場の建設は彼の主導で始まりました。広場は貴族の生活と切り離せない場所だったのです。ロワイヤル広場は、38の館で囲まれており、王と王妃の館がほかより高く、それ以外はすべて同じ高さに統一されていることがおわかりいただけるでしょう。現在はヴォージュ広場と名を変えましたが、その姿は当時とほとんど変わっていません。次のギャラリーには、ポン・ヌフに設置され、1792年に破壊されたアンリ4世の騎馬像の破片(手、ブーツ、右腕、馬の脚)がありますから、ぜひご覧ください。

続けて、このミュゼの宝、パリの壮大な室内装飾の展示室に進みましょう。木製のパネル一式を部屋ごとに組み立て、家具や絵画、美術装飾品などを時代ごとに組み合わせています。17世紀の部屋は、白地に葉や花、リボンなどで装飾されたコルベール=ド=ヴィラセルフ邸(1658年頃)のもので、その木工細工は当時の室内装飾の見事な一例です。暖炉の上には、かの有名な政治家マザラン(1602-1661)の肖像画が飾られています。次のふたつの展示室では、ロワイヤル広場にあったラ・リヴィエール邸のシャルル・ル・ブラン(1619-1690)が手掛けた見事な装飾をご覧ください。青いダマスク織の壁、漆喰の装飾、「王妃の肘掛け椅子」4脚(1660年頃)、国王の首席家具師シャルル・ブール(1642-1732)の作とされる銘木を使った平机(1715年頃)などの家具調度が置かれており、素晴らしく統一感のある空間となっています。この館に多くの著名人を迎えた有名な女主人、セヴィニエ夫人に話を戻しましょう。略式喪服姿の肖像画は1665年頃、クロード・ルフェーヴルが描いたもので、金色のモチーフで飾られた漆塗りの机に向かって、かの有名な手紙をしたためているところです。

18世紀、ルイ15世の時代にコンコルド広場が誕生し、ルイ16世の時代にもパリは変貌を続けました。ユベール・ロベール(1733-1808)作《ノートルダム橋の家屋取り壊し》(1789年)に見られるように、橋の上の家々は交通の便を図るために取り壊されました。サン・シュルピス教会をはじめとする宗教建築が建てられたのもこの頃のことで、その模型が展示されています。

続いては18世紀の素晴らしい装飾の展示室です。中でも圧巻は、ドゥマルトーのサロン(1765-1770年)でしょう。1765年から1770年にかけて、フランソワ・ブシェ(1703-1770)とその工房が手掛けた動物画で埋め尽くされた空間は、植物が繁茂する牧歌的な田園地帯のよう。また、カフェ・ミリテールの木製パネルや、建築家クロード・ニコラ・ルドゥー(1736-1806)が設計したユゼ館(1768年)の装飾パネルも見逃せません。輝くトロフィーが精緻に彫刻された壮麗な装飾パネルの素晴らしさは、ため息が出るほどです。吹き抜けの大階段を通り、パオロ・アントニオ・ブルネッティ作の壮大な大装飾画(1748年)も忘れずにご覧ください。だまし絵の手法で描かれたこの装飾画は、リューヌ館の大階段のもので、たくさんの人物が登場する見事なロッジアが描かれています。

最後のセクションは、「啓蒙の時代」、そして自由を擁護するその思想で革命に影響を与えたルソー(1712-1778)とヴォルテール(1694-1778)の国際的な波及力がテーマです。ヴォルテールは晩年、動かずに読み書きができるようにと特別な家具を設えさせました。1775年頃、シャルル=フランソワ・ノルマンに作らせたキャスター付きの脚を持つ優雅で快適なアームチェア、傾斜した書見台、取り外し可能なライティングテーブルなどです。ブリュラール・ド・シルリー館の美しい木製のパネルで飾られた最後の部屋は、ピエール=オーギュスタン・カロン・ド・ボーマルシェ(1732-1799)の発言の自由にちなむものですが、実際、彼は戯曲の中で、当時の社会を自由に批判しています。こうした彼らの考えが、すべて1789年の革命につながっていくこととなったのです。続きは、次のお手紙でお伝えいたします。

友情を込めて。

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Update : 2022.3.1

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