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チェルヌスキ美術館(パリ市立アジア芸術美術館)
  MMFのwebサイトをご覧になっているみなさまに、パリから素敵な便りが届きました。差出人は、美術を心から愛するマダム・ド・モンタランベール。日々、美しいもの、真なるものを求める彼女は、四季折々に輝くミュゼの上質な愉しみ方を教えてくれます。フランスへ旅立つとき、このコーナーにお誘いが届いていたら、マダムの隠れ家のようなミュゼに足を伸ばしてみませんか。  
親愛なる日本のみなさまへ
今日は、『チェルヌスキ美術館』へと皆さまをご案内いたしましょう。3年に及ぶ改装を終え、去年6月に再開されたこのミュゼがあるのはパリ8区、モンソー公園沿いのヴェラスケス通り7番地。マルシェルベ大通りから金色に輝く豪華な門を抜けて進まれると、そこは美術館の建つ袋小路です。
  ▲チェルヌスキ美術館
©A.de Montalembert
       

▲美術館を彩る大きな壷
©Musée Cernuschi

このミュゼは、フランスではギメ美術館に次ぐ東洋美術の宝庫としてよく知られていますが、なかでも、中国美術のコレクションはヨーロッパでも5本の指に入るほど豊かなものです。1万2000点以上もの所蔵品のなかから常時900点ほどが展示され、わたくしたちの目を楽しませてくれます。
美術館の名は、コレクションの礎を築いたアンリ・チェルヌスキ(1821-1896)にちなむもの。イタリアに生まれながらも、政治上の理由からフランスへの亡命を余儀なくされた彼は、銀行家として財を成します。ところが1871年に起こったパリ・コミューンの流血の惨事(多くの民衆が犠牲となりました)にたいそう胸を痛め、フランスを離れて世界周遊の旅に出ることを決めたのです。旅先でチェルヌスキの心を捉えたのは、ため息が出るほど美しい東洋の美術品──。ひとつ、またひとつと古美術品を購入していったチェルヌスキは、やがて、それらの品々をフランスで公開することを願うまでになっていきました。そして1873年、フランスに戻った彼が邸宅を構えると、そのコレクションの噂はパリの社交界に広まっていったのです。1896年、チェルヌスキ亡き後は、パリ市が邸宅とコレクションを譲り受け、美術館として公開されることになりました。

         
チェルヌスキのコレクションは、フランスに東洋美術を紹介するとともに、当時の美術界にジャポニスムという新しい風を吹き込みました。きっと、マネ(1832-1883)やルノワール(1841-1919)も、この素晴らしいコレクションを堪能したのでしょうね。
     
こうして今、改装後のミュゼを訪ねてみますと、一品一品がよりいっそうその魅力を増したかのように感じられます。お隣のニッシム・ド・カモンド美術館の庭、そしてモンソー公園を望むふたつの窓が開放されたことで、明るい自然光が入るようになったせいでしょうか。かつては上流階級の象徴であった「喫煙室」の復元もなされ、邸宅はチェルヌスキが暮らした在りし日の姿を取り戻したようです。
     
さて、19世紀らしい風格をたたえた正面階段を上がり、常設作品を観てみることにいたしましょうか。年代順に展示されたコレクションの見どころは、紀元前13世紀、新石器時代の古代中国の美術品の数々。精巧な青銅器のコレクションには目を見張るほどです。なかでも『雌虎』(湖南省出土 紀元前1550-1050頃)はミュゼが誇る逸品のひとつです。前脚でしっかりと幼子を抱く雌虎、その幼子の安心しきった表情──。これが、母たるものの包容力、そして慈愛というものなのでしょうか。わたくしは深い感銘を覚えずにはいられませんでした。この作品は青銅器のなかでも「(ユウ)」という儀式用の器に分類されていますが、京都にもこれとそっくりなものが伝えられているそうですね。
     
色とりどりの素焼きの風合いが美しい『騎馬女子楽人(8人の馬上の楽器を奏でる女性)』も印象深い作品のひとつ。ふっくらとした面立ちに浮かぶ雅やかな表情をご覧になれば、きっと皆さまも心奪われることでしょう。また、日本美術のコレクション(青銅作品500点、陶磁器作品1600点を含む3500点)には、江戸時代の日本の風情をよく伝える古美術品があり、高い評価を受けています。


▲『騎馬女子楽人』
©Musée Cernuschi

         

▲『阿弥陀如来像』
©Musée Cernuschi

自然光の入る明るい大広間には、かつては東京・目黒の蟠竜寺にあった阿弥陀仏の像があります。思わず圧倒されてしまいそうなほど大きくて立派なこの仏像は、お寺が火災に見舞われた後、打ちすてられていましたが、1871年、旅路にあったチェルヌスキによって購入されたのです。フランスへ持ち込むために、仏像はいったんばらばらにされてしまいましたが、ロダンの鋳造工であったバルベディエンヌの手によって元の姿を取り戻しました。そして、ウィーン万国博覧会(1873年8月-1874年1月)で展示されたのちに、モンソー公園を望むこの館に安住の地を見出したのです。

         
せっかくこの美術館まで来られたのですから、是非、お隣のモンソー公園を散策してみてくださいね。第二帝政時代の邸宅が立ち並ぶ一角に造られたそれは見事な公園で、園内には楓やエジプトイチジクなどさまざまな木々が植えられ、そこかしこに真っ白な大理石の彫像が飾られています。そして、池まで足を伸ばせば、サンドニにあるヴァロワ家(1328‐1589のフランス王朝)墓所に立つ列柱からインスパイアされて作った古代風の列柱の風格ある佇まいをご覧いただけます。この公園は第二帝政時代そのままの姿を今にとどめているのです。

親愛をこめて。
     
アンヌ・ド・モンタランベール

  ▲モンソー公園のそばに建つ邸宅
©A.de Montalembert
  ▲チェルヌスキ美術館の一室
©A.de Montalembert
  ▲装飾門が立つヴェラスケス通りへの入り口
©A.de Montalembert
 

Musee Info 館内にてご自由に閲覧いただけます。
住所
 
7, avenue Vélasquez -75008 Paris
Tel
 
01 53 96 21 50
Fax
 
01 53 96 21 96
URL
 
http://www.paris.fr/portail/Culture/
Portal.lut?page_id=5853
アクセス
 
メトロ:モンソー(Monceau)もしくはヴィリエ(Villiers)駅下車
開館時間
 
10時〜18時(月曜・祝日休館)
入館料
 
常設コレクションは入場無料
企画展は有料
次回企画展 :2006年2月3日〜5月7日「中国の春画、春の王宮」
ラ・ピシーヌ関連書籍
MMFのインフォメーション・センターでは、チェルヌスキ美術館の公式カタログをご覧いただけるほか、パンフレット(フランス語・英語)をお持ち帰りいただけます。
 
  マダム・ド・モンタランベールについて

本名、アンヌ・ド・モンタランベール。
美術愛好家であり偉大な収集家の娘として、芸術に日常から触れ親しみ、豊かな感性が育まれる幼少時代を過ごす。ブルノ・デ・モンタランベール伯爵と結婚後、伯爵夫人となってからも、芸術を愛する家庭での伝統を受け継ぎ、ご主人と共に経験する海外滞在での見聞も加わり、常に芸術の世界とアート市場へ関心を寄せています。アンスティトゥート・エテュディ・デ・スペリア・デザール(IESA)卒業。
 
 
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