Francais 日本語 マイヨール美術館
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▲カルーゼル庭園に置かれている《三美神》1938年。
©A. de Montalembert
親愛なる日本の皆さまへ

先日、わたくしは、マイヨール美術館である講演を聴く機会に恵まれました。それは、ベルトラン・ロルカンが彼の母ディナ・ヴィエルニ(1919-2009)について語るというもので、とても面白いお話を拝聴いたしました。そしてこれを機に、皆さまにぜひ、マイヨール美術館の魅力をお伝えしたく、筆をとりました。
ディナ・ヴィエルニは、彫刻家アリスティド・マイヨール(1861-1944)のミューズ(芸術家にインスピレーションを与える女神)でありモデルで、昨年この世を去りました。今回、この美術館を訪れてみて、わたくしは黒髪を編んだこの小柄な女性に以前お会いしたことを思い出しました。2005年に行われたヴェルニサージュ(絵画展の開催日前の特別招待)の際、この方は美術館にある自宅で客人をもてなしていらしたのです。その個性的なオーラといったら──その姿は今も私の脳裏に焼きついています。



▲ディナ・ヴィエルニを描いた《赤い服のディナ》1940年。
© Adagp, Paris 2009

ミュゼが建つのは、パリ7区のセーヴル・バビロン地区グルネル通り。かの有名なデパート「ボン・マルシェ」をはじめ、老舗のブティックのほか、個人の邸宅はもちろん、庁舎、各国大使館、修道会などとして使われている建物が軒を連ねる界隈です。その中のひとつが現在、ディナ・ヴィエルニ財団とマイヨール美術館となっている、18世紀に建てられたブーシャルドン邸です。邸宅のファサードには、ブーシャルドン(1698-1762)による《四季の泉》(1739-1746)という風格ある彫刻が施されていますが、そこから湧き出る泉は、かつてはこの地区に水を供給していたものです。中央に高くそびえる座像がパリの街、その両脇の像がそれぞれセーヌ川とマルヌ川というパリへ水をもたらす大河を表しています。邸宅には建物が3つあり、マイヨールの作品のほか、20世紀の主要な芸術家たち(カンディンスキー、ポリアコフ、マルセル・デュシャンなど)からなるディナ・ヴィエルニの非常に重要なコレクションを所蔵しています。芸術を愛したディナ・ヴィエルニが、その生涯をかけて創設したミュゼが開館したのは、1995年のこと。こぢんまりした規模ながらも、マイヨール、そしてディナの情熱を感じさせる素敵な美術館です。
ミュゼ訪問を始める前に、まずは、類いまれなる運命を辿り、交差したふたりの人生について少しお話をしておきましょう。


▲マイヨール美術館の外観。
© A. de Montalembert

▲ブーシャルドンによる《四季の泉》。
© A. de Montalembert


▲《ふたりのディナ、または川辺のふたりの娘》1939年。
© Adagp, Paris 2009

マイヨールは、生涯を通じて愛した地中海沿岸の小さな村バニュルスに生まれ、20歳のときにパリへ出て、エコール・デ・ボザールに学びます。パリで出会った彫刻家のブールデル(1861-1929)は、マイヨールが学生の頃から一貫して彼の芸術に理解を示し、彼を支える人物となりました。デッサンと絵画からスタートしたマイヨールは、モーリス・ドニ、ボナール、ヴュイヤールとともに、ナビ派の小グループに加わります。自身の絵に満足しなかった彼は、陶芸、タピスリーと挑戦を重ねますが、彫刻を始めたのは40歳になってからでした。19世紀の美の規範とロダン芸術の呪縛から解放されたマイヨールは、美と官能を追求する中で、自らの芸術のテーマとして女性の肉体と向き合いました。そして、ひどく沈んでいた75歳のとき、彼はロシア生まれのある少女と出会います。それが当時15歳のディナ・ヴィエルニ。その後マイヨールが没するまでのおよそ10年にわたって、彼のモデルとなり、協力者となった女性です。マイヨールは、彼女の驚くべき個性(戦時中は活動家で、またレジスタンス運動家でした)に触発され、多くの作品を生み出しました。そして彫刻家の死後、ディナは同様にモデルを務めていたマティス(1869-1954)の支援を受けて、1947年にギャラリーを開きます。ギャラリーの装飾は、シャンゼリゼ劇場の建築家、オーギュスト・ペレ(1874-1954)が手がけました。そして、彼女はここにデュフィ(1877-1953)やカンディンスキー(1866-1944)、ピカソ(1881-1973)、ポリアコフ(1900-1969)の作品を展示するとともに、多くの芸術家を新たに発掘したのです。モダン・プリミティブの税関吏アンリ・ルソー(1844-1910)、シュルレアリストのマルセル・デュシャン(1887-1968)や、ロシア・アヴァンギャルドのラビンやヤンキルウスキ、ブラトフなどは、このギャラリーから世に羽ばたいていった芸術家たちでした。


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