なぜこれほどまでに、われわれはフィンセント・ファン・ゴッホに魅了されてしまうのでしょうか? 生涯を通じて1枚しか作品が売れなかった画家、精神を病み謎に包まれた自殺による死を迎えた画家、そうした不遇な生涯とは対照的に、ゴッホの生み出した傑作の数々は、強烈な個性が華開いた鮮やかな色と光に満ちています。オランダを訪ねる旅行者の大きな目的のひとつは、19世紀に生きたゴッホの魅力の謎を解き明かすことにあるというケースも多いのではないでしょうか?
日本では損保ジャパン東郷青児美術館に素晴らしい《ひまわり》がありますが、さらにゴッホ作品を堪能したいと思えば、本場オランダでアムステルダムのゴッホ美術館と、デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園にあるクレーラー・ミューラー美術館の2つは必ず訪れなければなりません。ほかにはパリのオルセー美術館、ニューヨークのMoMAにいくつか名作がありますが、オランダの2館の圧倒的な量には敵いません。
アムステルダムのゴッホ美術館は、画家フィンセントと弟テオが所蔵していた作品がコレクションの基盤になっています。1890年に37歳の若さで亡くなったフィンセントは生涯独身で子供がいませんでした。彼の死後、精神的に深いダメージを負って弟テオも34歳で亡くなります。2人の兄弟によって作り上げられた膨大な量のコレクションは、テオの未亡人ヨハナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル(1862-1925)と息子フィンセント・ヴィレム・ゴッホに引き継がれます。生前、ゴッホの作品は全く売れませんでしたが、この「売れなかった」ことがゴッホの作品が広範囲に散逸してしまうことを防ぐことになりました。
幸運なことに、テオの家族はゴッホの芸術が持つ本当の価値を真に理解していました。各地で展覧会を開き、作品を売り、フィンセントとテオの書簡集を出版するなど活動を続けます。1920年代にはゴッホの名声が確立され、一家のコレクションは1962年にオランダ国家の支援によってフィンセント・ファン・ゴッホ財団が管理することになりました。
そして、1973年にゴッホ美術館は開館します。現在、この美術館には約800点の油彩画、1,000点以上の素描、水彩画、リトグラフ、ほかの画家のコレクション、さらにフィンセントとテオの間で交わされた書簡など貴重な史料が所蔵されています。たいへん広大で作品点数の多い美術館であるため、何度訪れても「初めて見るゴッホ作品」に巡り会うことができます。美術館は毎年140万人もの来館者数を誇り、アムステルダムの重要な観光資源ともなっています。
オランダ・アムステルダム中央駅から路面電車トラムに乗り込んで15分ほどの場所にゴッホ美術館はあります。近くにはアムステルダム国立美術館、市立近代美術館もあり、見晴らしのいい「ミュージアム広場」を囲んで美術館エリアをかたちづくっています。
美術館の本館は、オランダ人建築家ヘリート・リートフェルト(Gerrit Rietveld、1888-1964)が晩年に設計し、彼の協力者たちにより完成され、1973年に一般に公開されました。リートフェルトはオランダのデザイン運動デ・ステイル(De Stijl)のメンバーで、端正な構造、広くて明るい開放的な空間デザインに特徴があり、ゴッホ美術館も、天井から差し込む明るい自然光を取り入れた構造をしています。
1999年には黒川紀章(1934-2007)設計による新館が完成します。楕円形のフォルムがモダンな印象を与えて、美術館エリアのアイコンのひとつとしてしっかりとした存在感を放っています。新館の建設は、国際交流基金を通じて安田火災海上保険(現・損保ジャパン)の支援で実現しました。今も多くの日系企業がゴッホ美術館のサポートを続けています。
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文・写真 : 安田晴彦(Haruhiko Yasuda) アムステルダム在住
Update : 2014.3.1
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