実現しなかったプロジェクトの中からいくつかをご紹介しましょう。
垂直と水平の構想の建物「雲を突き破る鉄(Cloud iron)」(1923-25年)を考えたのはエル・リシツキー(El Lissitzky/1890-1941)です。オフィスと住居を、高層住宅と路面電車を直接つなぐかたちで、モスクワの環状道路沿いに8軒建てるはずでした。彼のプロジェクトには、モスクワの人口過密と公共交通機関の不便さを解消するという目的がありました。
イヴァン・レオニドフ(Ivan Leonidov/1902-1959)の「レーニン研究所」(Lenin Institut)(1927年)は、ほとんどが読み書きのできなかった国民を教育して新生国家の人づくりをすることと、人類の全知識を集めたソ連総合知識センターにすることを目的としていました。図書館、天文台を備えた当時の最新科学技術の粋を尽くした設計でした。
国民を教育し、労働者を大量に作り出しても、体がもたなければ生産を続けることができません。ニコライ・ソコロフ(Nikolay Sokolov/1904-1990)がモスクワ市民の健康回復のためにデザインした黒海沿岸の「ヘルス・ファクトリー(Health Factory)」は、緑の多いリゾート地に個室キャビンを設置した美しいもの。「機械に修理が要るように人間にも休養が必要だ」とした、ソ連の方針そのものでした。ソ連はヴァカンスを生産性維持の道具と考え、健康のためにスポーツを奨励しました。
政権のプロパガンダと建築が結びついた典型的な例は「ソ連宮殿」です。ロシア正教のカテドラルを取り壊した跡地に建設し、高さ416mの世界一高い建物になるはずでした。頂上にレーニン像を据えたこのプロジェクトを選んだのは、当時の指導者、ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin/1878-1953)自身でした。ボリス・イオファン(Boris Iofan/1891-1976)はスターリン時代の代表的な建築家です。1937年に着工したものの、1941年のドイツ侵攻で中止され、跡地はプールになりました。ソ連崩壊後は、カテドラルが再建されました。
時代が進むにつれて建築は退屈なものになりますが、人間の機械化と国家への従属に建築が利用されたことが分かり、興味深いと同時に、恐ろしくなります。グローバリゼーションが進み、人間を管理しやすくなった今の世界に投影してみると、ソ連で起きていたことは、今でもかたちを変えて身のまわりにあることではないかと思いました。
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Update : 2017.5.8 文・写真 : 羽生のり子(Noriko Hanyu)
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