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ロダン美術館:ムードン、ヴィラ・デ・ブリヤン Musée Rodin : Villa des Brillants à Meudonマダムの連載の一部(10館)が本になりました。 バックナンバーを読む
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仕事場が手狭になったロダンは、1900年のパリ万博で開催されたロダン大回顧展のために建設された巨大な建造物「ラルマ館」をヴィラの近くに移築させました。ロダンはそれほどの名声を獲得していたのです。
この広大な空間は倉庫またはアトリエとして使われましたが、石膏彫刻の間に立つロダンを写した1902年の写真からは、ここが展覧会場となることもあったことがうかがえます。ラルマ館は残念ながら現存していませんが、その模型が置かれており、大きな窓から差し込む光がロダンの作品を引き立てていた、優美かつシンプルなこの建物のかつての姿を今に伝えています。

現在の美術館の建物は1931年に再建されたものですが、当時の特徴を保っています。ファサードには、イッシー=レ=ムリノー城(17世紀)のファサードの一部が取り付けられていますが、これは、城から切り離された断片をロダン自らが買い取り再利用したものです。

現在のギャラリーは中央の大きな壇を当時のまま残しており、その上に素晴らしい大きな石膏像が展示されています。これらは、巨大な作品ができるまでを順番に並べたもので、ロダンの思考の進展を追うことができるようになっています。ロダンは制作過程を残すために、粘土を手で成形したものから、ブロンズや大理石で作り上げる最終バージョンまで、各段階を石膏で型取らせていたのです。

入って右側の展示ギャラリーに足を踏み入れると、わたくしの目は、壮大な《地獄の門》の石膏に釘付けになりました。これは人物像なしの門だけの石膏で、抽象的でさえありますが、両側に置かれた展示ケースには、門の装飾に使われる数々のパーツが入れられています。1879年、装飾美術館のためにという国家からの依頼を受けたロダンは、ダンテの『神曲』から着想を得てこの途方もない作品に着手しましたが、結局、完成することはありませんでした。人生における37年という歳月を費やしたにもかかわらず、《地獄の門》は未完に終わったのです。門扉が開くことはなく、ブロンズに鋳造されたのもロダンの死後のことでした。《地獄の門》は、ロダンの作品全体の鍵となるものです。《考える人》や《三人の影》などの人物像や人物群像は、この作品のために制作されたものです。この作品の制作を通じて、ロダンは自分がさまざまな規模の作品を創造できること、そしてそれらを作り出すのは彼自身の手であることを示したのです。


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