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アルル県立古代博物館マダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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Chers amis,親愛なる日本の皆さまへ

フランス南部、ニームとマルセイユの間に位置するアルルは、ローヌ川の流れる町です。この川は何世紀にもわたり、ヨーロッパの主要な交通路のひとつとなっていました。北ヨーロッパと地中海の間に位置し、陸上と海上の交通路が交わるという、このたぐいまれな地理的条件によってアルルは発展し、とりわけ古代ローマ時代には地中海でもっともにぎわう港のひとつとなったのです。

素晴らしい世界遺産がたくさんあるアルルは、「芸術と歴史の町」に認定されています。1981年、アルルのローマ遺跡(劇場、闘技場など)およびロマネスク様式建造物群(サン=トロフィム教会と修道院など)は、世界遺産に指定されました。
とびきり素晴らしい観光地でもあり、毎年、定期市や音楽祭などさまざまな祭が催され、とりわけ、国際写真祭は大きな成功を収めています。

数あるこの町の観光スポットの中でも忘れてはならないのが、本日、皆さまをご案内するアルル県立古代博物館です。「青いミュゼ」と称されるこの館は、古代ローマを扱うフランスの美術館・博物館の中でももっとも美しい館。競馬場とローヌ川の間の半島の、かつての円形競技場跡にあります。釉薬をかけたガラスのプレートで覆われたファサードは、一目でそれと分かる空を映したような鮮やかな青色です。

思うままにそぞろ歩くことができる「美術館都市」をコンセプトに、アンリ・シリアーニが1995年に設計したこの三角形の建物は、三つの翼が、それぞれに異なる役割(常設展、文化、科学)を担っています。中心にあるのは、光を集める吹き抜けになったパティオ。それに加えて大きな窓が、この開かれた開放的な空間にさらに明るい印象をもたらしています。また、光はさまざまな部分を区切るのにも使われています。例えば、前ローマ時代の展示の終わりの方、死をテーマにした展示では光は非常に落とされているのです。

展示は時代順かつテーマ別になっているので、とても見やすく、古代ローマ人たちの暮らしぶりがよく分かります。見学順路のはじめには、素晴らしいライオン像《ラルクールのライオン》(紀元前1世紀)が、口を開けて後ろ足で立ち上がり、前方に向かって体を伸ばしています。さまざまな品(道具、短刀、宝石など)がガラスケースに飾られた前ローマ時代(紀元前3000年-46年)の展示では、墓所の発掘により、紀元前2000年の新石器時代にすでにアルルに人が住んでいたことが分かります。また、紀元前600年頃には、ギリシアの航海士たちがマルセイユを築き、アルラートの町を植民地化します。アルラートとはケルトに起源を持つ名前で、アルルの由来となったのです。ミュゼには、巨大な建築物の一部であったと考えられる紀元前5世紀から前4世紀の石灰岩が展示されています。

明るい雰囲気のふたつ目のセクションは、紀元前46年から476年(西ローマ帝国の崩壊の年)の古代ローマ時代に相当します。紀元前46年に、ユリウス・カエサルはアルルの町にローマの植民地として特権的な地位を与え、ここに古参兵の第4部隊を設置します。その後、1世紀から6世紀のいくつかの都市計画地図にあるように町は何世紀にもわたって発展します。1世紀、アウグストゥス皇帝(紀元前63年〜紀元14年)の支配下で、町は南北方向、東西方向ふたつの主要な幹線道路に沿って碁盤目状に整備され、政治と宗教の中心である公共広場、そして劇場、凱旋門が現れます。4世紀の町を再現した模型はとても面白いのでぜひご覧になってみてください。ローヌ川の両岸に沿って広がるこの町には、コンスタンティヌス皇帝(紀元274-337年)の支配下で、共同浴場、皇帝の宮殿といった新しい公共施設が建設され、395年に、町はガリアの中心地となり、商業的にも政治的にも宗教的にも重要な役割を果します。

Update : 2017.12.1

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